2013年12月19日木曜日

私には、夢がある。

つい先日読み終えた新書の「はじめに」の書き出しです.
以下長くなりますが,転載(引用)させていただきます.

 私には、夢がある。
 日本人の本来の姿を、ひとりでも多くの人に伝えたい。知ってもらいたい。
 日本人は日本列島でどのように歩んできたのか、どのような信仰を抱き続けてきた
か、日本人とは何者なのか、天皇とは何か? 日本人の本質を、ぜひ知ってほしい。
して、世界中の人たちに「自分たちが何者なのか」胸を張って語っていただきたい。
のためのも少しでもお役に立てれば、とそう思う---。
 日本は今、大きな曲がり角に立っている。世界中から誤解されつつある。だから一層
強く、「歴史を原点から見つめ直す必要性」を訴えたいのである。
 中国や韓国は、過去の日本の罪にスポットを当て、「反省しない日本人」「悪魔のよう
な日本人」というイメージを世界に向けて発信している。
 彼らの主張の中には、耳を傾けなければならぬこともある。しかし、すべてが正しい
わけではもちろんない。彼らからの非難の言葉は一方的で、誇張された歴史観と言った
方が正確なのだ。しかし情報は繰り返し唱え続けることで、やがてそれが「真実」となっ
て、独り歩きしてしまう。それでなくとも、旧日本軍に進攻されたアジアの国々に対する
同情は、湧き起こりやすい。
 このまま情報戦に敗れれば、われわれの子や孫の世代に、大きなツケを残すことに
ろう。世界中から石礫(いしつぶて)を投げられ、差別されていくに違いない。だから
こそ今、日本人は正しい歴史を知る必要がある。歴史を学ぶことは、道楽や趣味では
なく、明日をき抜くための指針にほかならない。このことに、ようやく多くの人が気づ
き始めているのである。
 では、われわれは、どこまで日本の歴史を知っているだろう。「悪魔のような日本人」
と罵られたとき、どのように反論できるというのだろう。
 近代史、現代史だけを学んでいても、正確な答えは出てこない。歴史に断絶はなく、
今起きていることは、過去の因縁を必ず引きずっている。
 歴史を正しく知り、先祖が歩んできた道を正確に知ることで、日本人の進むべき道は、
自ずと探り当てられるはずだ。だから、歴史の基礎の基礎である古代史を、誰にでも
わかりやすいように解き明かしてみせたいのだ。古代史がわからなければ、「なぜ今
われわれはここにいるのか」は明確にできない。
 古代史は「未来への貴重な道標(みちしるべ)」なのだ。だから筆者は、迷宮入りして
しまった古代史の謎を解き明かそうと試みてきた。
 もちろん、筆者が古代史の世界に迷い込むきっかけとなった事件は、高尚なものでは
ない。飛鳥(奈良県高市郡明日香村)の「入鹿の首塚」と石舞台古墳を訪ねるたびに野
の花が欠かさず手向けられていることに気付いたとき、ふと思ったのだ。大悪人と信じ
られてきた蘇我氏だが、地元の人たちにいまだに愛されているのではないか---。
 調べていくと、・・・

キリがありませんので,転載(引用)はここまでにしましょう.

なんと,「夢を語る」って素敵なことなんでしょうか!

僕はこの書き出しに,相当な感動を覚えました.以下の内容の是非は
このBLOGでは論じません.読み手の皆さんで感覚が違うのは明らか,
だからです.
に,してもです!ここまで夢を冒頭から語られると,同じ男(ジェンダー・
バイアスは抜きにして!)としては,面食らうというか,
なら,お前(自分のコトです)はどないやねん!
に行き着くわけなんです.結局.

つい,日常が慌ただしくなると「それを言い訳にして」,「夢」や将来の
「進みたい道」を考えなくしてしまうものです.
もちろん,日常に追われることが悪いことではない,と思うのです.
でも,ふとした瞬間に,「あぁ~,オレは何にこんな追われてんのやろ」
と感じるとき(瞬間)って,皆さんにもおありじゃありませんか?
(何の同意を求めているのか・・・?)

やっぱり,読書って,大切だなぁ~.と今年何度目の感慨.
そして...
「夢を語るには,その道に精進せねば」という普遍の原理.

歴史に学ぶ、歴史を学ぶ」と「歴史の舞台裏に立つ!!」 昨年二つの
投稿で,私が日本の古代史に興味を持つキッカケをお読みいただき
ました.舞台裏に立ってもう一年も経つんですね!
もうすぐ,今年も暮れてしまいます.

あれもせんな!これもせんな!の時季です.

さぁ,やらんなんことせな!(^o^;;;)))


新たなシリーズが開始!なんだか乗せられちゃったなぁ~(苦笑)























弁護士さんは偉いなぁ、やっぱり!
ホンマは,仙台のS先生
の書き込みに触発されて
「背伸び」して左の一冊だ
けを購入する予定だった
んです.でも...
毎度のことですが,恐る
べしAmazon(>_<)!!!

あなたにおすすめの本,
につられて,結局,関裕二
さんの著作を2冊,同時に
1-click.

1-click,恐るべし!

2013年12月8日日曜日

懐かしい、馴染みの顔と!!

百人一首シリーズ,元日にスタートし今年中に順調に...
などと気軽に考えておりましたが,53首目が師走の1投稿目,と
なれば,これはもう絶望的ですよね...(^_^;;)

すっかり季節は冬になりましたが,皆さまお元気でいらっしゃいます
でしょうか?
ずーっ,と投稿をお休みしておりましたところ,昨夜の忘年会の席で
久しぶり(2年ぶり?)にお目にかかった先輩から「(前)ぶろぐは,
やめたの?」と問われ,「あっ,いったん閉鎖して再開したのでURL
が変更されてたんですぅ~」と理由をご説明しました.
ありがたい,こんなBLOGでもブックマークにしてくださっている方が
いらっしゃる!と気持ちを新たに久しぶりに投稿した次第です.

昨夜の忘年会は,僕の社会人生活スタート地点となる事業所の,
「当時の」同僚の方々,ですからもう18年来のお付き合いになるん
ですかね?僕が早々に退職してから16年経過する今年も忘年会
の仲間に加えていただきました.本当にありがたい!ことです.
僕は当時22~24歳,先輩方も二十歳代でした.当然,ほとんどの
参加者が40代になっていますが,この飲み会(「東大阪会」と呼んで
いるのです)に出席すると,懐かしくて,違和感なくみーんな20代の
「あの頃」に戻った気分になることができる,不思議なくらい,楽しい
ひとときを過ごすことができるのです(^o^)//
さて,一夜明け寒さも深くなった今日
日曜日.偶然また東大阪に絡む,
馴染みの忘年会がありました.
僕にいちばん年の近い従妹が13歳
年齢が離れているのに対して,いち
ばん歳の近い叔父が11歳違い,と
実は叔父でありながら,すーっと僕は
「兄ちゃん」と呼んでいる叔父と,その
高校からの同級生のNさん,とそのお兄さんのNさんとの男4人忘年会
が,東大阪市の小阪駅徒歩17分の焼肉店で開催されました.
なんとこの男4人メンバー,僕が高校1年生16歳からの付き合いで
今年で25年目になる,おそらく周囲からは奇異な目で見られるであろ
うグループなのです.最初は金剛山雪山登山,富士登山にも一緒に
経験したグループでもあるのです.近年は年に3~4度ほど夕食をとも
にする,それも2時間食べ放題「専門」のお店ばかり.を巡ります.
叔父も二人のNさんも東大阪市にお住まいですので,僕にしてみれば
東大阪市とは,高校生のときからずーーっと関わりのある「まち」なの
でもあるのです.もちろん大学卒業までは「遊び」の拠点東大阪!
平成7年社会人勤務がスタートしてからは「仕事」の拠点東大阪!
に大変貌を遂げたのでありましたが...

今年2月に投稿した「南から河内永和へ」.上の写真はノーマルに西
から近鉄電車に乗って到着する河内永和駅を撮影したものです.
この河内永和の次の駅が今日の舞台「河内小阪」.件の焼肉店の食
べ放題料金体系が変更されていたのです!
左の写真をご覧ください!僕はノー
マルな¥2,980コース.ところが叔
父と二人のNさんは¥2,680コース.
そうなんです!
何と50代以上は段階的に2時間食
べ放題コースの料金が異なっている
のです!お年を召されるにしたがって
料金が割り引かれていく,なんとも言え
ない合理的というか,不思議な感じといいますか...
でもお会計時に年齢確認はされませんでした.というとは僕はまだ
50代には見えない!」ってことですよね!ねっ!ネッ?
「なんや昨日は20代に戻ってたんちゃうんかいな!」と総ツッコミを受
けそうですが!(^o^;;)

ちなみに僕の仕事用USBに装着のキーホル
ダーは「河内永和」平成7年当時ヴァージョン
なのであります!(^_^)//

普通電車しか停まらない,ホームから隣の駅
「布施」と「河内小阪」が丸見えなのに,準急は
「布施」と「河内小阪」に停まるのに,河内永和
には「普通電車」しか停まらない!
でも,退職から16年経った現在,阪神なんば
線経由で乗り換えナシで行き来できる.
「河内永和」と東大阪は,僕の青春の,社会人
人生の原点となる「まち」なのです.