2012年9月2日日曜日

廃線探索も福知山線

前頁に引き続き、福知山線についての思い出を綴ります.

①東海道本線を跨ぐ鉄橋
おそらくもう多感な高校生に
なっていた(1988)と思います.
僕と友人のM君は,ともに鉄道
愛好者として活動していました.
二人は昭和56(1981)年に廃線と
なった旧国鉄福知山線の支線,
通称尼港線(アマコウセン)の廃線跡
を探索しよう!とM君の企画で
サッソク自転車を飛ばし,JRに
変わって間もない尼崎駅へ集合.

②阪神電車(大物~尼崎)
まずは東海道本線を跨ぐ線路の撤去された
鉄橋を撮影すべく,盛土の高架によじ登りま
した.眼下に行き交う電車を見下ろしながら
鉄橋をパチリ(①枚目)!

そして,廃線跡沿いに南下し,阪神電車の
高架線をくぐる地点でパチリ(②枚目)!
そのまま南下を続け,国道43号線をくぐり
当時はまだ更地のままだった,旧尼崎港駅
跡にたどり着きました.(③④枚目)

この探索が発端となり,僕は旧線を訪ねる
趣味も持ち合わせるようになりました.
男子ですから,やはり,冒険心をくすぐられたんでしょう!
③④旧尼崎港駅構内
それまで「電車に乗る」一辺倒だった趣味の
世界がまた一つ拡がった瞬間でした.

さて,幾分「藪から棒」的に,鉄道趣味のコア
な部分についての披歴・投稿が続きました.
ご賢察のとおり「思惑」もございます.

古今を問わず,悪質な鉄道ファンが後を絶ち
ません.「鉄道が好き」であることに,特別な
「理由」は不必要でしょう.そこに理屈はありま
せん.ただ・・・世間様にご迷惑をかけるような
真似をシデカスのは止めにしませんか!
残念ながら,先月も阪〇電車に爆破予告を,送りつける,などという
稚拙な」輩が検挙されておりました.誠に痛恨の極みでありますが・・・.

前編の[大モリ]ぶろぐ(今年1月に閉鎖)でも,記述のとおり,鉄道のその
第一義は,安全な公共交通機関として,そして,代替の難しい大量輸送の
大変重い責務を担っています.
そして「線路は続く・・・」の頁でも申しましたが,その線路は先人の熱い情
熱で,山を越え,川を渡り,海沿いの地滑りとも闘い,豪雪や強風などの
自然現象とも格闘しつつ,敷設され張り巡らされた,国民全体の「輸送の
公共財」である,と私見はそうみております.

懐古主義などでは決してありませんが,鉄道が単なる「金儲け」の手段で
ある,との認識には「大いに」違和感を禁じ得ません.
「金儲け」を否定する意図は毛頭ありません.儲けがないと事業は成り立
たないからです.小学生でもわかる理屈です.
しかし,鉄道に利益追求を求め過ぎた結果,どのような弊害が生じている
のか?この問題は,鉄道愛好者なら,ましてや鉄道事業者には必ず直視
していただきたいのです!
大都市圏に住む僕にそのような理屈を語る資格はあるのか?と問われれ
ば,僕は「ある」と自信をもって返答します.鉄道を趣味としつつも,単なる
趣味の対象としてのみ,認識しているわけではないからです.

僕は旅に出るなら,必ずローカル線を目的とします.
そこには,鉄道の本質を見て取ることができるからです.

福知山線が,国鉄分割民営化(1987.4)の前後に,劇的に「輸送」改善策が
講じられ,それこそディーゼルの列車(「電車」ではありません)がのんびり
走っていた路線が,最新鋭の通勤電車が超高速で行き交う路線に変貌を
とげました.しかし・・・表面上,利便性が,想像を上回るスピードで向上し,
誰しも,その便利な「JR宝塚線」に何の疑問も感じなくなっていた,その
矢先・・・,107名もの人命を奪う大事故が発生してしまったのです.
        ▲YouTube
起きてしまった大事故の責任が誰がどういう形で負うのか?
それをこんな私的で無責任なBLOG上で議論する気はサラサラありません.

僕が訴えたいのは,「鉄道輸送が単なる金儲けの手段ではない」
ということ,ただそれだけです.

ダイヤどおりに「列車」がやってくる・・・
この,何気ない日常に,目には見えない努力を日夜続ける鉄道マンたち
に想像力を働かせるところまで,もう一度立ち返ることができれば!

車掌や駅員への暴力,鉄道愛好者仲間を貶めるような行為には,
決して及ばない,

と,考えるのは,僕だけでしょうか・・・!?


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