学者がはじく算盤では,その経済効果が10年で5兆6000億円・・・
地元住民には全く実感のない数字がテレビの液晶画面を踊った翌日.
徹夜組3000人が今朝の開園を待っていたそうです.
まったく,「好き」ということはとんでもないパワーをもたらしますね!
私は英国仕込みの物語にはほとんど,興味がありませんのでこれら
の愛好者の方々の行動には驚くばかりです!

クールな?私でも
(どこがぁ~!),
とあるチケットを
入手するために,
一度だけ販売日
前夜から徹夜で
列に加わったこと
があるのです.
恐らく全国で限定1万枚の発売だったと記憶しています.
中学2年の3学期を終えたばかりの少年2人が,厳しい母親に頼み
込んで許可を得,こちらも恐らく友人と2人だけで初めての徹夜外泊
を,大阪駅中央北口のシャッターの外側で冒険したのでした!
いわずと知れた国鉄最終日に,全国全線あらゆる列車の自由席が
乗り放題!しかも夜行列車は翌4月1日の終着駅到着まで乗車可!
という破格の「サービスきっぷ」だったのですが.
当時14歳の私に対し母親は,友人と2人での一泊旅行の許可は出
さなかったのでした(>_<)!!!
僕はこの時ほど,「あと3年早くこの世に生まれたかった!」と,強く
自らの身の上を悔やんだことを鮮明に覚えています.
さて,では14歳の少年が考え出した国鉄最終日の「日帰り行程」と
いうのは?ざっと思い出しながら以下に記します.
大阪~東海道・山陽本線~姫路~播但線~和田山~山陰本線~
豊岡~宮津線~西舞鶴~小浜線~敦賀~北陸本線~米原
以上,米原まで普通列車ばかりを乗り継いでいました.いやひょっと
したら和田山~豊岡くらいは前年11月に登場したばかりの,L特急
「北近畿」(現「こうのとり」)に乗ったかもしれません.でもこんな行程,
「青春18きっぷ」でも十分こと足りるんですよね.
さて,米原駅は翌日からJR東海との接続駅となるので,ひと駅だけ
東海道本線の上り電車に乗り,日の暮れた「醒ヶ井駅」に降り立ち

が,その駅で買い求めた往復切符
がこれです.
たぶん米原駅を挟んでJR東海とJR
西日本をひと駅ずつまたぐ,という
意味でこの切符を買ったのでしょう.

ので売価が半額の小児切符にした
んだと思います.
そして,旅の最後に選んだ列車が
急行「たかやま」だったんですね!
たぶん米原から乗り込みましたが,
大阪駅までの距離が100㌔を切る
近江八幡から,最後の小遣いを
奮発して「グリーン車」に乗った際に
車掌から買い求めたグリーン券が
左のキップだと思います.
ものすごくガラガラで,車掌さんが
「どこでも好きな席に座って下さい」
と案内してくれた,とうっすらとした
記憶・・・
こうして,日本の近代史に刻まれる日本国有鉄道最終日の記念すべき
「謝恩フリーきっぷ」を使った旅行は幕を閉じたのでした.
そういえば,こんな切符も宮津線(現:北近畿タンゴ鉄道)の宮津駅で
購入していたんですね!
「鉄道管理局」の表記がいかにも国鉄時代を醸し出していますが!
そういえば×2,今度の休日に,この宮津線に乗りに行くんでした.
また乗車リポートもいたしますネ!
往復はもちろん「青春18きっぷ」ですよ!(苦笑)
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