2014年3月31日月曜日

森ノ宮行きが消えた!?

今月半ばのJRダイヤ変更で,大阪環状線稀少電車
「森ノ宮」行き,が平日のダイヤから姿を消しました.

変更前は平日の朝9時台に「内回り」で1本だけ.
珍しい行き先表示を掲げて運行されていたのですが.
今月,乗車チャンスがあったのですが!
気がつけばダイヤが変更されて,平日の時刻表から
「森」の字がなくなっていたのです.

僕は本数が少ない行き先の電車に,どうも子の頃から
心が惹かれてしまいます.
理由は特にありません.

でも,珍しい行き先の電車に乗っただけで,なーんか
得した気分」になります.

ケッコウ「得な性格」でしょ!!??


地下鉄弁天町駅で見かけた「森ノ宮」行き

2014年3月27日木曜日

「旨い」虫の知らせ!

さて,今夜はいつもにも増しまして,プライベートな話題です.

私事で恐縮ですが,私の父の古希の誕生日が来月初めに迫って
きていまして.父が好きな「バッテラ」をだしてくれる「中央市場」に
ある,とあるお寿司屋さんが今日の舞台です.
私も年に1~2度,個人的にその暖簾をくぐっております.直近で
は今年の1月か2月に,私もバッテラを味わったとき,久しぶりに
父に味わって欲しいな!と思いました.

そのお店は中央市場管理棟の最上階にあります.
眺望もよく,ロケーションは抜群
なのですが...如何せん足の便が
よくありません!(>_<)!!!
最寄駅から徒歩15分はかかり
ます.(拙宅からも同じくらい)
残念ながら管理棟休業日は,
「ぞっ」とするくらい人気(ひとけ)
がないのです!

前回,私がお勘定をするとき,店員の女性に「僕の父はこちらの
バッテラが大好きなんです!」とお伝えしました.でもその女性は
あまりピンと来なかったようです.
無理もありません.私はお世辞にも「顔なじみ」といえるほどの
常連客からはほど遠い存在だからです.

そんなこんなで,誕生日には少し早かったんですが,今週のとある
昼下がりに,父を少し遅い昼食に誘いました.店に着き,その初老
の店員さんが父の顔を見るや否や
「いや~,久しぶりですね!お元気でしたぁ?」と声をかけてきたの
です.改めて父に対して「おぉ~,さすが長く生きてるだけあるな~」
と心の中で感嘆の気持ちを抱きました.実は父は先代の大将の時
分からの「顔なじみ」だったんですね!
さて,おいしそうにバッテラを頬張った父が席を立とうとしたとき,
「今日,来てもぅてよかったです.今月末で閉店しますから」と,事も
無げ?でもなかったのでしょうが,その店員さんが父に告げました.

父とふたり,顔を見合わせてビックリ!

突然の閉店の告知.
もし,来月の父の誕生日にこの店を訪ねていたら...残念な展開が
待っていたんでしょう.なんの因果か,虫の知らせか?

「思い立ったら,吉日」

を再度,もう何度目かわかりませんが,強く胸に刻んだ次第です.


来年の誕生日も祝うことが出来たらいいなぁ,と思いながら,父を
最寄駅まで見送り,僕はまた仕事に戻っていきました.



2014年3月10日月曜日

朝がやってきます。明日も

明日も「朝」がやってきます.
3年前の3月11日(金)の朝も,何気なく訪れました.

僕は通院で,とある大学病院に出向いておりました.
確か今日のような寒い日.粉雪も舞っていたと思います.

地震の瞬間は,大阪梅田の百貨店のエスカレーターを
歩いて昇っていて,地震の揺れには全く気づきませんでした.

とんでもない津波の映像を初めて目撃したのは午後5時半頃.
薬局に顔を出したときにようやく.薬局のテレビニュースで.


明日も「朝」がやってくるんでしょう.

3年前の3月11日の朝とまったく同じように何気なく.

でも,あの日の朝と,「あの日以降」の朝には決定的な違いが
あります.

その「違い」を...いまここで文字にするのはやめておきます.



息をのむ車窓の数々.2

任務と出会いの6日から一夜が明けました.
3月7日(金)は純粋に新潟から大阪への移動日となりました.

いろんな行程を検討しました.
「乗り鉄」としては新潟県のJR線の全線完乗も達成したい!
越後国一之宮「彌彦(やひこ)神社」の朱印も得ておきたい!
新潮社日本鉄道旅行地図帳「乗りつぶしノート・第2列車」
平成24年7月20日発行 80p.より抜粋



















少し小さい図面で見づらいかと思います.
図面下(南)少し右(東)寄りから上(北)に続くカーブの緩やかな
路線が上越新幹線です.北にたどり終点が新潟駅となります.
この区間も前日6日が初の乗車となりました.
さて,新潟県下で未乗区間がもう一つだけ.新潟から左斜め
下(南西)方向に伸びる越後線にお気づきでしょうか?
しばらく南西方向に進むと「吉田」という駅があります.
この「吉田」と日本海沿いに進むと「柏崎」という駅を結ぶ区間
が最後の未乗区間となったのです.
ということは,吉田駅を起点に西に2駅で「彌彦神社」の鎮座す
る「弥彦」駅,東へ5駅で信越本線の「東三条」駅を結ぶ弥彦線.
新潟~吉田間の越後線は,4年前の夏のひとり旅で乗車済み
だったのです.ただし4年前も彌彦神社は断念した経緯があり
ます.さて・・・

ですがあくまで業務の一環の移動日ですので,素直に大阪を
目指すルートをとりました.それでも新潟から柏崎の間は,幹線
の信越本線ではなく越後線を選びましたが・・・(苦笑)

通勤・通学客がすっかり姿を消した車内から撮影した「弥彦山」
が下の写真です.
吉田で一日わずか9便の柏崎
行きに乗り換え,新潟県下最後
の未乗区間の実にのんびりした
車窓をゆっくり味わいました.
柏崎に近づくにつれ,雪が強く
なり,各駅のプラットホームも
真っ白な薄化粧が次第に濃く
なっていくのが,またなんとも趣
のある・・・
そして柏崎で
新潟県下全線
完乗を達成し,
信越本線上り
普通列車に乗
り継ぎ,一路
「直江津」を目
指します.柏崎
から2駅目が,
日本海のすぐ
そばに駅のプ
ラットホームが
設けられている青海川駅に静かに電車は到着.
このどんよりした曇り空.横なぐりの雪.荒れた波しぶきがミッ
クスした,なんとも「冬の日本海」を象徴する「息をのむ車窓」に,
ここでも幸運にもめぐりあえたのです.
その後,まっすぐな線路を「上下浜」「土底浜(どそこはま)」という
これまた趣のある名の各駅を進みながら,僕が乗った普通電車は
終点直江津駅にこれまた定刻10:40ピッタリに到着しました.

直江津ではこれまた珍しく同じホームで富山行き普通電車が1分の
接続で停まっていたのです!直江津でJR東日本からJR西日本に
切り替わり,普段は駅の片隅にあるホームかに発着するJR西の
普通電車.意外にも余裕で乗り継ぎ可能だったのですが.僕は
この普通電車は見送り,1時間後に発車する特急までお土産や
昼食の駅弁を仕入れる時間にあてました.
ここでも,1分の間にかなり悩んだんですけどね!
だって,1年後には北陸新幹線が開業し,直江津~富山間を結ぶ
普通電車の姿は見られなくなる(乗れなくなる)と思うからです.
もっとも,同区間を走る特急電車も姿を消すでしょうけど・・・

ちなみに途中下車して買い求めたお土産は!
もちろん「継続だんご」ですよ!












ビールは,公募の上,先着1名様に差し上げました.

※ちなみに,なぜ帰路に時間の節約できる上越新幹線→東海道
新幹線のルートを選択しなかったのか?
それは皆さん!「大人とオトナの事情」というものなんですョ~




夜の新潟で南極物語

♪「南極物語」のテーマ曲が,頭を回りはじめましたかぁ?

6日(木),東京・新潟での任務を終えた僕は,新潟駅前のビジ
ネスホテルに早々とチェックインを済まし,晩ごはんを食べるた
め冷たい風が吹きすさぶ新潟駅前を歩き始めました.

ゆっくりウロチョロする元気はありませんでした.
ただふと目についた洒落た「bistrot」に飛び込んでみました.
知らぬ街で素性の知らぬ店に飛び込むあのドキドキ感もまた!
言葉では表せないものがありますよねー!

さて,食事もすすんできたところで,木曜日の夜だからか客は
僕ともう一人のサラリーマンだけ.手持ちぶさたな厨房のお兄さ
んもカウンターに出てきて,マスターも交えオトコ4人で四方山話
に花が咲き始めました.
そんな中,厨房のお兄さんが「自分は南極観測隊でも調理した」
と何気なく口にしたその言葉に,僕は飛びついたのです!

僕の学生時代の後輩に,いま南極観測隊員として赴いている男
が,ひとりいます.僕は間を置かずその後輩の名を挙げました.
案の定,そのお兄さんの目が大きく開いて
「えぇっ!彼(僕の後輩)の知り合いなのか!」
と驚きの声を発したのです.

いや~,世間は狭いですね!
どこで,どんな人たちと巡り会うか,本当にわからないものです!

これだから「旅」はやめられないんですけどね!

※ちなみに後輩の彼は現在南極観測船「しらせ」で日本に向かっているそうです。




息をのむ車窓の数々

3月6日(木),啓蟄の朝8時30分新大阪駅25番線ホーム.
「のぞみ2号」東京行き発車7分前に,僕はプラットホームに
たどり着きました.
昨年5月?以来の東海道新幹線.この度は業務上の出張での
新幹線.僕は座席指定を予約することなく自由席2号車の右側
に席を確保したのです.
N700Aに初乗車!
比較的車窓が楽しめる
東海道新幹線.東京に
向かい静岡を過ぎたあたり
で右手前方の微妙な角度の
視界に入る「富士山」が,
僕個人的には「お気に入り」
な富士山なんですが.
その日は珍しく書物に熱中し
てしまい,いつの間にか静岡も通過.富士川に気づいて
慌てて視線を左の車窓越しに振り向けると...
それまで新幹線の車窓からは目にした記憶のないほどの,
なんとも鮮明なそして大きくてまさしく「泰然」とした富士山を
眺めることができました!
左側2列座席からは携帯端末のレンズを向けて「パシャパシャ」
シャッターを切る音がそこかしこから聞こえてきます.
僕ももちろん写真に収めたかったのですが,通路側座席で居眠る
初老の女性客を叩き起こしてまで...と考え直し,自分のまぶたに焼
き付けるだけにしました.麓の手前に新東名高速道路の高架橋も
実にスッキリ見通せましたよ!

さて,東京でのミッションも簡潔に済ませることができ,次の目的地
「新潟」へ向け急ぎ東京駅へ引き返します.東京メトロ丸ノ内線は,
全駅で「ホームドア」が設置されていましたが,驚いたのはワンマン
運転だったことです!ホームドア設置とワンマン運転は実はセットの
経営戦略からくる設備投資なのか?しかし,ローカル路線でも僕は
車掌さんの乗務しない列車は賛成できないんですが,こんな大都会
の地下鉄,それもメイン路線のひとつが「ワンマン運転」だなんて!
少し(かなり)面食らいました!
※JR西はまさかまさか大阪環状線の「ワンマン運転」を目論んでいるのか?

上越新幹線「とき327号」新潟行き,予定ではその1本あとの「MAX
とき329号」に乗車するつもりだったのでいくぶん残念でしたが.
昼間は東京~新潟直通の新幹線は1時間に1本が基本のようで,
さすが東海道新幹線の需要とその輸送量は桁違いなんだろう!と
ここでも妙に納得しました.1年後には同じホームから金沢行きの
「北陸新幹線」も発着するようになるわけですが,東海道新幹線沿い
に暮らす市民の感覚とは全く違う「新幹線像」を東北・上越・北陸の
各新幹線が新規開業したときに,沿線住民の方たちは抱いたこと
なんでしょうね...
新潟行き「とき」は,群馬県「高崎」駅で,左に碓氷峠を越える北陸
(長野)新幹線を分岐し,いよいよ上越国境の山越えに挑みます.
ただ,知識としては知っていたとはいえ,山陽新幹線同様トンネルと
雪国独特の「スノーシェルタ」がほとんどの視界を遮り,車窓を楽しむ
どころではありません.ですが暗闇のトンネルを突き進む車内でも,
耳に「つーん」とくるあの感覚.国境を越えるために高度をどんどんと
稼いでいるのは体感できました.
融雪スプリンクラー
さて国境の長いトンネルを抜けると
そこは「越後湯沢駅」.標高は300
メートルを超え,一面の銀世界!
降りしきる雪と線路脇に設置されて
いるスプリンクラーから噴き出る水
の両方が客室の窓を叩きつけます.
豪雪地帯を時速200キロを超える
高速運転するわけですから.
この新幹線が開業にかけた新潟県民の方々の思いの丈を
ぶつけられている気分も味わえたと思います.
こんな感覚が味わえるのは,当たり前ですが実際に電車に
乗って実地に赴いているから.
23年前の2月に初めて在来線の上越線で新潟から群馬県に入った
ときのあの豪雪ぶりも.あの豪雪の中を電車が走ること自体が,僕に
は信じられないくらいの感動でした.厳しい大自然に負けずに列車を
走らせる鉄道マン達の熱い気持ちに感動した,というべきでしょうか?

東京を出発して2時間とちょっと.「とき327号」は横なぐりの雪の中,
定刻どおりに新潟駅11番ホームに到着しました.