東大阪市に
「河内永和」と
いう駅があり
ます.
今日は所用が
あり,「永和」を
訪ねました.
なぜ駅名に
「河内」がつくの
かといえば,愛
知県のJR関西
本線に「永和」と
いう駅があるため,あとからできた近鉄奈良線の「永和」駅に,「河内」
という旧国名をつけて混同をさけるため,だといわれています.
さらにJR西日本が「おおさか東線」という旅客線を5年ほど前に開業
させた際に,近鉄の「河内永和」のあとにできた駅なので,「JR河内
永和」という長々とした駅名になったのだと思います.
さて,この河内永和(以下,単に「永和」といいます.)は過去の投稿
で既述かと思いますが,私の社会人生活の出発点となった,思い出
のそれはもうたくさんたくさんつまった土地なのです.当時は大阪環
状線を半周して鶴橋で近鉄奈良線に乗り換えて通勤しておりました.
ところが時代がくだり,4年前に阪神なんば線が開業し現在では阪神
~近鉄を直通運転する各駅停車を使えば,乗り換えなしで行き来でき
るようになったのです.つまり,従来通りの東西方向の移動で永和に
着くのです.
じゃあ,今日は阪神~近鉄直通の各駅停車で永和に向かったのか?
といえばさにあらず!WEBで検索するとなんとおおさか東線経由で往復
するルートも案内があり,運賃もJRのみの片道210円,とあり所要時間
も10分ほどしか違わなかったので,JR大和路快速~久宝寺乗り換え~
JR河内永和のルートを選択しました.(ちなみに阪神~近鉄直通運賃は
片道450円です!)
天王寺から久宝寺までノンストップの大和路快速の車窓から,百済貨物
駅を左手に見下ろします,が久しぶりに目撃した貨物駅はすっかり架線
が張りめぐらされていたのです!そう,来月の梅田貨物駅の営業終了に
伴い,梅田貨物駅の機能が吹田+百済貨物駅に分散移転される,という
情報も,このルートを選んだ理由の一つだったのです.
百済貨物駅構内は,アスファルト敷きも真新しく,以前は非電化貨物駅
だったため絶対にその姿を見ることのできなかった電気機関車も数台
待機していました(その写真は撮りそびれました・・・).
さて,久宝寺から放出までのおおさか東線は元・城東貨物線という地平を
走る単線の貨物線だったのが,複線高架の立派な旅客線に生まれ変わり
百済貨物駅から放出方面へ向かう貨物の連絡線も,もちろん高架の電化
線に造りかえられております.
僕が永和で勤めていた頃,HONDAのスーパー・カブにまたがって東大阪
・八尾・柏原・大東(・生野・平野)を走り回っていたときに,この貨物線の
踏切も数えきれないくらい渡りました.さまざまな思いを抱えながら・・・
久宝寺から乗り換えたおおさか東線の放出行き普通電車は,しばらくいま
きたルートを天王寺方面に逆行し,従来の加美駅の手前で北に進路を変
えるカーブの途上の「新加美」駅にまず到着します.その寸前に,久宝寺
(旧・竜華操車場)から南に分岐し阪和線の杉本町まで続いていた阪和貨
物線の線路跡を目視しました.こちらはもう10年くらい前に廃線になった
貨物線です(もったいないなぁ~).
新加美を発車し,方角をほぼ北進にした6両連結の普通電車は,真新しい
高架橋をのんびり進みます.沿線は町工場と住宅の密集地で,その密集
地の路地を,仕事で縫うように走り回っていた頃を懐かしく思い出しました.
またそれほど高い建造物がありませんので,あべのハルカスやなんばの
高層ビル群もきれいに見渡せたのです.
「JR長瀬」,「JR俊徳道」といずれも永和と同じ理由で駅名に「JR」を冠する
駅を出た電車は,南の方角から永和に到着しました.
南北方向の移動で永和に降り立ったのは,今日が生まれて初めて,でした.
永和での所用のお話しは,また改めて投稿したいと思います.