2012年11月30日金曜日

「熱狂者」の情報誌

今日は[大モリ]BLOG開始以来,初の禁じ手を用います.
前頁で取り上げました小説,西村京太郎「ミステリー列車が消えた
に対して,強烈な批判を展開した論文をご紹介したいと思います.
出典,筆者等は原文をそのまま転載いたします.
尚,鉄道愛好者しか手に取り目を通すことのない情報誌につき,これ
までも辛抱強くこの小BLOGをお読み下さっている皆さまにも,とっつき
にくい文章体の論文かと,じゅうじゅう承知しております.
お読みにならなくても,なんら差し支えるものではありませんが,僕が
この論文の転載を決意したのは,鉄道情報誌というものが,無条件
鉄道に関する事項をプラスに捉えている訳ではない,という事実
をご紹介したかった,からです.
僕が中学一年生の3月号,まだ「日本国有鉄道」でした!







(※クリックして拡大してお読みくださいませ)








































(※クリックして拡大してお読みくださいませ)

方角が西向き列車のみ!?

いきなり訳の解らない謎解きQ!!のような投稿タイトル.
鉄道ファンの方ならおそらくご存じでしょう(^_^;)
日本随一の大幹線「東海道本線」の駅.
単線の駅でありながら,西向きの下り列車しかやってこない
しかも,そのほとんどが通過する列車.僕の記憶では停車する
普通電車は一日に6~7本だった(過去形)でしょうか・・・(?_?)
日本鉄道旅行地図帳全線全駅全廃線<増結>新潮社P.42より抜粋














その駅とは大垣~関ヶ原間の「新垂井駅(廃駅)」なのです.
天下の東海道本線で,西向きの下り列車しかやってこない!過去に
そんな珍奇な駅が存在していました.
もう一度,上図の大垣から関ヶ原に向かう線路をご覧ください.
ほぼ西へ直線上に次の駅が「垂井駅」.その次が「関ヶ原駅」で
すが,北側に迂回する線路が現在も敷設されています.
この迂回線路は,大垣から関ヶ原への急勾配の上り坂を,北に
迂回し距離を稼いで勾配を緩くするためのバイパス線です.
重量級の貨物列車などが,現在も垂井駅経由の急勾配を避けて
北側の迂回ルートを走っていますが,その途中に「新垂井駅」が
かつてありました(昭和61年10月末で駅のみ廃止).
新潮文庫・偶然!
ではこの投稿では何故いまはなき「新垂
駅」を取り上げたのか?と申しますと.

左の文庫は,僕が中学一年生(昭和60年)
のとき,作家西村京太郎と初めて出会った
一冊なのです.この一冊を皮切りに,中学
三年間は「トラベルミステリー」にどっぷり,
浸かっておりました(-_-;;)
故・三橋達也演じる十津川警部,愛川欣也
演じる「カメさん」こと亀井刑事,森本レオも
西本刑事を演じていた「土曜ワイド劇場♪
を,テーマ音楽と共にご記憶の方々も多い
ことと存じます.
ストーリーは,東京を夜出発,東海道を下る「ミステリー列車」(夜行)が
定刻になっても京都駅に到着しない?犯行グループが数百名の乗客を
身代金目的で誘拐.しかし,その日は九州から大阪到着の同じブルー
トレインを担当した清掃グループが向日町の運転所でグループあった!
おかし~,さて,東京発のミステリー列車はどこに消えたのか??

ちょっと,考えられないシチュエーションですよねぇ~!
東海道を下る列車が京都駅に到着しない段階で,大ニュースになる
ハズ!しかも,早朝に,鉄道ファンが下車を不審に思わない,上り
ホームの乗客に気付かれずにミステリー列車から下車できる駅・・・

そこで乗客誘拐の舞台に白羽の矢が立ったのが,「新垂井駅」だった
のでした.確かに・・・単線の路線は数多あれど,①下り列車しかやって
こない(上り列車ホームがない)②周囲に人家が少ない③鉄道ファンが
興味を持っても不思議でない,こんな駅は「新垂井駅」しかないです・・・

まぁ,この小説について,というよりは西村京太郎のトラベルミステリー
には,数々の批判が寄せられていました.その非現実的な設定から・・・

そのあたりについては,また機会を改めて投稿したいと考えております.

2012年11月27日火曜日

蒸気機関車に思いを馳せて
















ご無沙汰しておりました(^_^;)
投稿のテーマを「駅」にするか,「物語」にするか,「直線」にするか,「空に」...
悩んでおりましたが,結局「蒸気」機関車を選択いたしました.
上の写真は昨年9月に訪ねた名古屋の「リニア・鉄道館」に展示されていた
SLの写真の一部です.

時折深夜の時間帯の番組表に目を向けますと(もちろんNHKのみですが),
NHKアーカイブス、なる番組の中にSLの走行シーンを集めた番組(西日本編・
東日本編,各30分)がございまして.
もちろん録画したものを再生したわけですが,これがなかなか「秀逸な番組
でして!ご覧になりたい方は,個人的にご連絡くださればDVDに落としたモノを
お送りさせていただきます!

さて,もちろん僕自身はSLが現役で走行していたシーンなど記憶にありません.
カラーブックス152「蒸気機関車」S45.11.1八刷発行(保育社)
















ですが,その番組で力走するSL.
動力源は石炭を燃やした火力と水蒸気.
皆さん,周知の事実ではありますが,石炭と水だけで走るのです.
※厳密にはほかの動力源もありえましょう(線路に撒く砂や照明器具)
そこで僕は「ふと」考えたのです.
物心がついた頃から何気なく乗っている大阪環状線(電車)
線路の上には必ず架線(電線)があり,電車はパンタグラフから電気を取
り込み,モータを回してようやく電車が動きます.
架線に電気を流すためには,送電設備が必要ですし,電力会社が火力・
力・(原子力)ほかの燃料を用いて発電する設備がなくては話になりま
せん.
SLの車輪を動かすための連結棒とピストンなど,複雑な構造ですが,蒸気
の圧力」を活かして車輪を回す!なんと,原始的で自然に近い動力車
んだろう!と感動を覚えずにおれませんでした!

原子力発電に伴う「核のゴミ(高レベル放射性廃棄物)」を受け入れる都道
府県がない,とたったいまのRadio Newsからも聞こえてきます.
当然でしょう!

僕自身が「電気の世代」ですから,偉そうなことは何一つ言える立場では
ありません.
電気が発明される以前に暮らしを営んでいた時代に思いを馳せると....
想像もできませんが,なにか現代の僕たちは「忘れている」のではないか?

SLが力走する映像に目を奪われながら,「ふと」そう考えたものですから・・・


※ちなみにカラーブックスに写っている「呉線・忠海(ただのうみ)駅」(広島県)
今年の大河ドラマで中井貴一さんが演じた清盛の父「平忠盛(ただもり)」に
由来する駅名だそうです.

2012年11月18日日曜日

「空気」を切り裂いて!!

[大モリ]BLOG第7シリーズもようやく3分の1を通過しました!
いまさらですがタネあかしをしますと,第6シリーズは投稿タイトルが
キーボードのひらがなの配列順.第7シリーズはキーボードのアル
ファベットを頭文字にした英単語の和訳,といよいよシリーズのネタ
も煮詰まってきております...f(^-^;

さて,今日は久しぶりに新幹線に乗ってきました!




















岡山の往復如きで新幹線,なんて僕の経験では「贅沢な選択」なの
ですが,「教科書が山積みだ―!!」で再会の約束をドタキャンしたM君
から再・再会の連絡を受けたため,時間を優先しました.

往路は鹿児島中央ゆきの「さくら」.
復路は上の写真の東京ゆき「のぞみ」.
いずれも自由席1号車に席をとりましたので,のぞみは16両編成です
から,それはもう1号車の乗車口まで歩きます,歩きます(>_<)!!
※だから往路は8両連結の「さくら」にしました.

新幹線は速いです確かに.至極,当たり前ですが.
でも,僕は乗るまではドキドキ・ワクワク胸が高鳴るのですが,乗って
しまうと,何故か気分が落ち着きません.
高速走行時のあの空気を切り裂くような「キーン」という音の響き!
そして在来線では味わえない車窓の流れるスピード

なんだかやはり「非日常」なんですよねー!
岡山から新大阪までたったの44分(新神戸停車のみ).移動した実感
が全く湧いてきません.在来線なら2時間半はかかるところを,です.

速ければ,いいのか? →「のぞみ」のさらなるスピードアップ
安ければ,いいのか? →死傷事故が問題の「高速ツアー」バス
儲かるなら,いいのか? →儲からない並行在来線の第3セクター化

僕の心の中では,新幹線が鉄道っぽくないのです.どうしても...

2012年11月13日火曜日

「写真」派?動画派?

架け替え工事開始寸前の餘部鉄橋を渡る下り列車(2006.7.28)




















藪から棒ですが,この投稿をお読みくださった皆さまは「写真」派で
しょうか?それとも動画派でしょうか?
僕はどちらでもありませんが,どちらかといえば「写真」派です.
僕が高校生だった80年代末頃は「鉄ちゃん(テッチャン)」といえば,
写真撮影を趣味とする鉄道ファンの呼び名でした.

あれから,20年・・・

不思議なコトに鉄道マニアは,薄暗いイメージは引きずりつつも,
近年,女性ファンも増加しているとかで・・・
〇〇鉄」という呼び方が現代では主流になっているようです.

・撮り鉄・・・「写真」撮影,いまは動画も含みますよね!撮影が趣味.
・乗り鉄・・・列車に乗り,旅や車窓を楽しむ鉄道趣味者.
・音鉄・・・列車の走行音を楽しむ鉄道趣味.
etc...
ほかはあまり知りません(^_^;)

僕の場合は,う~ん,一眼レフカメラを持ち歩いていた時期もありま
したが,社会人になってからはもっぱらコンパクトカメラで写真を撮る
ようになりました.重いしかさばるからです!
そして,30代後半からは,カメラすら携行せずに旅に出るようになり
ました.写真がたまってたまって仕方ないからです(>_<)!!

整理が苦手なんですよ・・・(写真に限らず,ですが・・・)

ちなみに,僕は「乗り鉄+勾配鉄」で~す(^o^)//

2012年11月11日日曜日

「注文」の多い料理店

京都の夜は「寒い!
今日も「発破!!」をかけていただく
ために「京都」まで足をのばして
まいりました(^o^)//

研修の講師は先月札幌でもお目
にかかれた仙台のS先生.
「被災地の報告」,僕はスライドを
拝見するのは今年3度目でしたが,
たとえ3度目でもやはり身が引き
締まります,キュッと(>_<)!!

さて,その仙台へ僕は来月訪問
する予定です.全国から有志の
土地家屋調査士が集い,報告会
に出席し被災地の視察に向かう
ためにです.

唐突ですが時計の針を3年前
11月に巻き戻します.
僕は以前にもこのBLOGで触れ
たかと思いますが,2009年の初冬,片道切符の一人旅を企てたのです.
ルートは,大阪→東京→常磐線→仙台→仙石線・石巻線・気仙沼線・
大船渡線→三陸鉄道南リアス線→山田線→三陸鉄道北リアス線→
八戸線→東北本線(現:青い森鉄道)→大湊線→青森→津軽線
→竜飛崎(ゴール).
太字で記した路線は,大震災発生から1年8カ月経過した今日に
なっても未だ運転が再開されていない区間が残っている路線です.
※一部「BRT」という手法でバス運行が開始した区間もあります!

そして偶然にも僕の手元には,三陸鉄道開業10周年記念乗車券
(1994)があります.たぶん叔父の土産だったと記憶しています.

僕の心にも,皆さんと同じで大きな「心残り」がいくつかあります.
ひとつは,3年前のこの「企て」を実行に移さなかったこと.
いま現在,このルートでの鉄道旅行は「不可能」だからです.

そして,写真の記念乗車券が発売された翌年,僕の自宅から数
十キロと離れていない街から街が,都市直下型大地震の直撃で,
多数の人家が押し潰されたにもかかわらず,何の手助けもしよう
しなかったこと,です.

来月,遅ればせながら被災地に赴く機会を得ましたので,一人の
日本人として,震災発生後1年9カ月が経過した被災地の現状を
この目に焼き付け,僕自身が「できること(被災地に限らず)」を
を,しっかり考えてきたいと思います.


2012年11月7日水曜日

「印象」に残る一人旅

今日は「立冬」.
毎夕,つるべ落としを実感しながら,
気がつけば月めくりカレンダーも残す
ところあと「ふた月」になりました!

「第7シリーズ」もマイペースな記述に
終始しておりますが,今夜は皆さんも
きっとご経験があると思います.「一
人旅」について,僕の感想を述べたい
と思います.

左の切符は高校卒業の記念の旅行と
して,4泊5日の「一人旅」に出た際の
「きっぷ(乗車券)」です.恐らく,宿泊を
伴う初めての一人旅だったと思います.
だからこそ余計に印象に残っているの
でしょうか?
宿泊地は,
1泊目 急行「きたぐに」自由席の通路
2泊目 長野県茅野市(親戚宅)
3泊目 群馬県高崎市(ビジネスホテル)
4泊目 新潟市(ビジネスホテル)
と,これもたぶん「シングル」の部屋に
宿をとったのも生まれて初めてだったと
記憶しています.
高崎の夕食はホテルでとったのですが,
わりと豪華な食事も,独りでとると実に
味気ない,モノであることを感じました.
もういまは慣れていますが(^_^;)!!

あと,旅の最終日はさすがに淋しくなっ
たのか,どんどん近くの席の旅人に自ら
話しかけていきました.
新潟から長野までの急行「赤倉号」では,岡山に帰る祖父と孫娘の二人
連れと席が前後になり,自然と話しかけました.お孫さんは僕と同い年.
高卒後海上自衛隊に入隊して1年ほど文通していました.あれから21
年.いったい彼女はどうしているのかなぁ・・・?
また,東京から乗った新幹線「ひかり号」の車中では,幼子2児の手を
引く母親(いまでいう「セレブ」風なご婦人)が実家に帰省するとかで,
新横浜から京都まで,ずっと世間話に花を咲かせていました.あの幼子
たちも,もうとっくに成人になっていますもんね!
でも,当時高校生の僕が,10歳ほど年の離れたご婦人とどんな話題で
話し込んでいたのか?まったく記憶にありませんが.もう・・・

一人旅の醍醐味は,旅先での「一期一会」に尽きる,と思いを新たに
しました.この投稿を綴りながら・・・(^o^)//

2012年11月4日日曜日

大学の教壇に立つために





















何何?何処の学校ですか!?」の頁で記しました母校での「寄付講座」
様子を写したのが上の写真です.新しい校舎が林立し,すっかり様変わり
した大学構内で,僕自身が講義を受けていた当時の建物が残る,数少な
い大教室で行なわれた講義の様子.教壇に立っておられるのは,先輩の
土地家屋調査士です.
実は先週月曜日,来年度の寄付講座の講師を養成する講座を受講して
まいりました.今年の寄付講座では各先輩方の講師のアシスタントとして
前期の期間中,大学に通っていたのですが,僕も叶うモノなら教壇に立ち
たいなぁ,と希望していたのです!
喜び勇んで「ハリキッテ」月曜日の養成講座に臨みました.

が,しかし・・・

ロールプレイングで講師役を命ぜられ,与えられた講義レジュメで10分間
即興の講義をしたわけですが・・・
いきなりアタマが真っ白になり,ともかく10分間話すことに神経が集中し,
支離滅裂の話しぶりに狼狽し,散々な内容に終始.時間は9’45”でした.

みるとやるとでは大違い!

当たり前といえば当たり前なのですが,果たして僕に講師役は務まるのか?
肩を落としながら家路に就いた月曜日の夜でした.

昨年の12月に土地家屋調査士として登録をしてから1年近く.
時間と体力が許す限り,様々な研修や勉強会に出席してまいりました.
研修の度に,講師の先生方がこの研修の準備と勉強にどれ程時間を費や
してこられたのだろうか!と感謝しておりましたが・・・

でも,もし来年度,講師を拝命できたならば,最大限のベストを尽くしたい!
ようやく,落ち込みから立ち直り,エンジンがかかってきました!

「やるぞぉー(^o^)//!」



2012年11月2日金曜日

若者の離職率について思う

ずいぶんと冷え込んでまいりましたねー.
皆さま体調を崩されませんように,お気を付け下さいませ!
2012.11.1 朝刊一面


尻切れトンボのスキャンで申し訳
ありません(>_<)!!

供給過剰」なんて銘打たれて.
そんなの学生当事者にとっては,
いい迷惑!企業サイドの勝手な
表現!て,思ったりもしました.

でも,将来の仕事を見据えて,
学部を決め専攻科目を選択する
学生なんて,文系ならなおさら,
ほとんどいないですよねー!
僕もそうでしたから・・・(^_^;;

若者の離職率について,一昨日
の夜にTVニュースで取り上げられ
ているのを偶然目にしたのです.
「そんなの,適性なんて学生の段
階でそうそう見極められるものじゃ
ない!」なーんて独りで呟いたりも
していました.

離職経験9回の私が申し上げます.

「新卒で職に就けなくても,なーんも心配なんかない!」
大切なのは,学生を卒業してからの「(社会)勉強」.
20代から諦めずに勉強を続ければ,将来どんな道でも拓けます!
そして.
もっと大切なのは心身の「健康」!
これだけはおカネをどれだけ積んでも,手に入れることはできないから!