2012年10月28日日曜日

教科書が山積みだー!!

これまでたくさんの教科書と対峙してきました.
もちろんその対峙は「現在進行形」.
完了の予定は全くありません

今日は大学時代からの友人M君と夕食を共にする約束でしたが,
朝から体調がすぐれないため,ドタキャンしてしまいました(>_<).
M君とは学籍番号も近くゼミも同じでしたので,卒業後も年に何度
かは会っている「気の合う」友人なのですが・・・「申し訳ない!」と
先ほど電話で謝りましたm(_ _)m.いま少し気分も落ち着きました
ので学生~独身時代を振り返ろう,とふと思い立った次第です.

僕は大学受験の際に,「法学部」か「文学部」のどちらに進むか,
少しだけ悩んだ時期がありました.結果は法学部に入学したので
すが,特に「この分野を専攻したい!」とか「将来は○○士になり
たい!」などというフツーの法学部生なら抱きそうな考えはほとん
ど持ち合わせずに進学したのです.
そんなボンクラ学生がとある講義に出席し手渡された薄いテキスト
教科書)に衝撃を受けたのでした!
後に友人M君もこの僕も,このテキストの
著者である先生のゼミ生になりました.
結論から申しますと,罪刑法定主義
厳格な運用のために,刑法という法律を
非常に厳格に解釈することによって,国
家権力の発動たる「刑罰権」に最大限の
制限枠を設ける,というそれまで「刑法」
に持っていたイメージを180度以上転換
させられたのです.その後,僕は国家権
力vs基本的人権の観点から,憲法・刑法・
刑事訴訟法の法解釈にのめり込んでいく
のでありました・・・

さて,そんな法解釈も分野にどっぷり
つかってばかりいては,生身の人間同
士の現実の「諍い」の解決を目指すと
いう法律のもう一つの大切な機能に目
を向けることなく大学を卒業するところ
でした.たしか片岡鶴太郎さんが主演で
放映されたTVドラマがキッカケとなり,
左のコミックに「ハマった」のです!
お読みになった方も多いことと存じます.
離婚・親権・相続・少年事件・扶養・・・
様々な人間模様に触れ,僕は何度も
何度もこのコミックを読み返しました.
それでも,民法四部(親族・相続)は履修せずに卒業したのです.

また,時は流れます.刑事法・公法に力点を置いてきた凡々学生が
大した目標意識もなく社会に飛び出したその後・・・
民事法の学習に頭を痛めたのは想像に難くありません.よね?
刑事法なんて火曜サスペンス劇場の「検事・霞夕子シリーズ」を
食い入るようにみていたときに役立つ程度で,一般の日常生活
はやはり民事法を学んでいなければ話になりません!
民事法の学習にはこれまた現在進行形で「苦労」しております(>_<)!!

さらに時は流れます.といっても20代
半ば頃です.このとき恐らく人生で初め
ての「挫折」を経験し,これからの人生,
どの道で生きて(飯を食って)いけばよい
のか?まったく暗中模索な中,最初に
就いた仕事の中で「不動産登記簿」に
触れたのを契機に初めてその存在を
知った「土地家屋調査士」に不思議と
気持ちが奪われて?,平成10年に
登記・測量業界の門を叩いた次第です.
右も左もわからない僕に仕事を教えて
下さった先輩に尋ねて勧められたのが
このQ&Aシリーズ(上)(中)(下)三部作(H10当時)でした.
資格試験用受験勉強のテキストとは似ても似つかぬ内容.
実務書なので至極当然なのですが,僕は必死で読みました.
こちらも恐らく生まれて初めて「勉強」という意識を持って臨んだ
書物ではなかったか?といま振り返ればそう思います.

不惑四十を迎えた現在,上のQ&Aに記載されている条文すら
「過去のモノ」となっているほど,世の中の動きは前進しています.
いままさしく,収入を得る「プロ」として勉強すべき教科書が文字
どおり僕の自室では「山のように」積み上がっております(^_^;)

先週末に札幌で,仙台のS先生からたくさんのアドバイスを頂戴
しましたが,その中で「急がないTo Doリスト」を作成せよ!という
ご指示がありました.
急ぐTo Doリストなど作らずとも頭に入っている.肝心なのは「急が
ないTo Doリスト」を作成し,ちょっとあいた時間を利用しどんどん
消化していくこと!
つまり,現状の僕にあてはめますと,山積している教科書を,日常
のちょっとした空き時間を有効に活用して,どんどん実務用の勉強
を推し進めていくこと!

まずは,リストを作成するところから・・・始めます.今日にでも!
でも,いったい何冊に上るんかなぁ・・・かなり不安ですゥ(・ ・;;)


2012年10月26日金曜日

繰り返し被災~仁徳陵!!

今夜何気なく夕刊をめくっておりますと,僕の心を鷲づかみにする
記事が社会面に掲載されておりましたので,その全文の切り抜き
をまずは以下に転載します.
この記事の左下に位置
する「航空レーザー測量
図」についてなのです!
寝覚めない緊急停車
の頁で,近つ飛鳥博物館
(大阪府南河内郡河南町)
に足を運んだことに触れ
ましたが,特別展以外に
百舌鳥・古市古墳群の
航空レーザー測量図
の展示に偶然といいます
か,必然的に足が向きま
して,記事の測量図の現
物(だったと思います!?)
を目にしたばかりでしたの
で!また今日も偶然車で
仁徳陵の北脇の幹線道路
を走ったモノですから!
この付近,大小の古墳が
ところ狭しと存在していて,
またその狭い隙間を縫うよ
うに,幹線道路の大阪中央環状線と国道310号線,JR阪和線+南海高野
線の線路が絶妙に交差するように敷設されており,その設計技術にも感心
ばかりしておりました.その「航空レーザ
ー測量図」を拝見しながらですが・・・

さらに!偶然とは重なるものでして(^_^;)!

今週の月曜日から始まった歴史セミナー
の第1回を聴講したばかりで,仁徳朝
難波高津宮の話題も聴講したところで
したので,よけいに嬉しくなり,この度
投稿するに至った次第です(^o^)//

※ちなみにセミナーの資料によりますと.
大林組の試算では,1日2000人の人材を投入して15年8カ月の歳月,
総計680万人の労役を得て,仁徳陵は完成する,とのことでした.
まさしく想像を絶する壮大な事業ですね!


2012年10月24日水曜日

入口にたどり着くには

前頁の続きです.
札幌のホテル滞在が正味
24時間.駅から徒歩10分
の地の利が活かせて,花金
の地下街を抜け札幌駅18:
10発の新千歳空港行きの
快速電車に乗るも通勤客で
満席!これには覚悟しました
が,運よく次の停車駅「新札
幌」から着席できました.

さて,帰路の新千歳空港.
直行した保安検査場で
プー」の音!「なんで?
えっー(・ ・;;)?」
名刺入れを携帯していたた
めなのか?名刺入れとペン
ケースの中身を確認されただけで再度関門をパス出来て「ホッ」としました.

往路の便と違い片側3列×2=6列の小振りな旅客機でしたが,左窓際の最
後尾に席をとっていました.ひと月前にインターネットで予約したからか,往復
とも座席が指定できました.僕は4年半前のフライトで翼の真横の席に10時間
以上座っていて大変退屈した!経験から,降りるのに時間がかかっとしても,
翼のない窓際を選択したのです.
といっても,離陸は夜の8時前.とっくに真っ暗で景色などは見えません.
が,帰りの旅客機はモニターに現在の飛行位置が示されるタイプの便でした
ので,日本海上から本州の鳥取県あたりから陸地に達しました.はるか南東
方向には,中京~近畿の都市圏の街灯り.鳥取~岡山の街灯りの「少なさ」
とのコントラストがあまりにもクッキリだったのが印象的でした.

ぐるり,淡路島の南端を左旋回しながら関西空港へ.
予定より10分遅く到着予定,との離陸直後の案内放送でしたが,定刻に滑
走路に「ゴゴゴォー」の衝撃で無事着陸しました...(^_^;)

※結論と余談を.
結論・・・やはり「乗り降り」に非常に時間がかかる+手間もかかる=飛行機
     地点間移動時間が圧倒的に短い=飛行機
     乗務員の安全意識の高さと「笑顔」によるサービス=飛行機に軍配
余談・・・満席の場合,次便に搭乗変更を航空会社側から依頼のアナウンス
     がありました.札幌発羽田便の当日中の次便に変更する乗客には
     お礼が「1万円」.僕が搭乗した上記の関西便は最終便だったので,
     翌朝1番の便に変更する乗客へのお礼は「2万円」でした.

同時大量輸送に適している=「鉄道」にかなう交通機関はない.

おあとがよろしいようで(?_?)!!






2012年10月22日月曜日

翼に身をゆだねて

前頁で記しました札幌とんぼ返り.
往復とも空路を利用しました!
僕としたことが・・・ですが(^_^;)

ナニセ飛行機に乗るコトには頭から
慣れていません!
なんで!出発時刻の1時間も前
空港に行かなきゃなんないの?
まぁ,関西空港までは拙宅の最寄駅
から関空快速で乗換なしで行けます
ので door to door で1時間15分で
空港にはたどり着きました.

さぁどおしよ?カウンターの横に発券機のようなものがある!
ここで「きっぷ」が手に入るのか?緊張が走ります.ところが・・・
発券機に予約番号を打ち込むと「航空引換証」なるものが発券され,
もうそのまま保安検査場へ行ってもよい,と案内されました.
あっけない!
あんなに気を揉んだのは一体なんだったのか?

保安検査をスムーズにパスするために,ベルトも時計もすべて外して
(「注文の多い料理店」みたい・・・)すんなりパス!
出発時刻の1時間前には搭乗口改札機前に!

なーんや,簡単やん!

さて,旅客機の中に入り,右の窓際席に陣取りました.
定刻に離陸!あの急加速の重力感は,4年半ぶりでしたが,やっぱり
慣れることができません!
ところが,当日はあいにくの雨模様,離陸するや否や,いきなり激しく
機体が上下左右に揺れました.窓の下には淀川の河口部がどんどん
小さくなっていくのが見えました.機内はどよめき.僕はすかさず
墜落するなら,どうか淀川に墜落して!
と心の中で叫びましたが,あっという間に神戸空港を見下ろしたかと
思うと雲の中に突入し真っ白で何も見えなくなりました・・・

予定より15分も早く新千歳空港に着陸したわけですが,高度を下げ
始めるあたり,夕陽に照らされた高い雲の層に機影が写ったのを目に
したとき,見慣れない光景だけに声もなく見とれてしまいました(^o^)//

それにしても客室乗務員さんたちの働きには目を見張るものがありま
すね!なんといっても,あの「笑顔」!それでいて,非常事態では脱出
のために乗客を誘導する任務.とても責任が重く,僕は父の入院時
初めて看護婦さんたちに尊敬の念を抱いたのと同様,CAさんたちにも
素直に「凄い仕事に携わってるなぁ!」と感心しました.

僕は機内後部の右窓の席でしたが,後部の真ん中の4列ほどに乗客
の姿はなく,僕も二人がけを独りで座ることができゆとりがあったので
すが.航空業界も競争が厳しいんですネェ~!

※続きはまた頁をあらためますm(_ _)m

2012年10月21日日曜日

質問が思い浮かばない

ご無沙汰しております(^o^;)//
[大モリ]BLOG,第7シリーズ
スタートです.またお時間が許す
ときにお付き合いくださいませ.

さて,僕はこの木~金曜日,1泊
2日で札幌に行ってまいりました.
左のシンポジウムに出席したい,
と強く希望したからです.

札幌というか,北海道自体が22
年ぶりの訪問でしたが,往復の
行程につきましてはまた頁を改め
て記述いたします.

本題のシンポジウム(19日)につ
いて,ですが.メインテーマは
災害からの復興」サブテーマは次の3つです.
①災害における地理空間情報の活用
②災害復興に向けた地籍、政策、教育の促進
③災害に対する地籍測量と地図作成技術の革新
また基調講演では,「津波災害後のインドネシア(アチェ)と日本(東北)
における土地権利の擁護と回復」についてお話を伺いました.

技術的な詳細についてはここでは記しません.
ただ,津波で流された「紙」ベースの不動産の台帳(登記簿)をいかに
して復旧させるか?生々しいその工程について詳細な説明に息をのみ
ました.また,岩手県のS先生がご担当になった論文と発表を聴講し,
「最近は各大学で『東日本大震災を振り返る』のようなシンポジウムが
開催されているようだが、復興のスタートが切れないような状況の
被災地としてはもう、振り返っているのかとおどろいてしまう。」の
センテンスに,「ハッ」としました!やはり,東日本を通り越して北日本
にいたわけですが,被災地への「近さ」を肌身に感じたのです!

そして「『X軸』は北?南?」「学ぶに如からざる也」でご紹介した仙台の
S先生とも8カ月ぶりにお目にかかれて,シンポジウム終了後,会場の
ホテルのスタバで珈琲をご馳走になりながら,日常業務について様々な
ご指南をいただきました.感激しました!惜しみなくご自身の体験を通し
た調査士としての生き方と激励を直々にお伺いできましたので!
僕が19日中に大阪へ帰ることさえしなければ,もっと,もっとお話を伺え
たのに・・・後ろ髪を強く強くひかれながら,僕は会場のホテルをあとに
しました.先生の後ろ姿が視界から消えるまでお見送り・敬礼したのです.
「S先生,本当にありがとうございました!」

ここで,本投稿タイトルの「質問」についてご説明します.
シンポの発表者には韓国(ハングル語)と台湾(中国語)の方たちも
おられたのですが,同時通訳のイヤホンから聴こえてくる日本語訳が
なかなか発表に追いつかずに,発表時間が終了する,という時間が
何度かありました.司会者の方が「何か質問があれば?」と募っても
残念ながら僕の能力では,韓国・台湾の発表に対して「質問」すること
はできませんでした・・・(>_<)!!
全ての論文には「英訳」文も付されており,その英訳が即可能であれ
ば,その場で質問することができたのでしょうが・・・(^_^;)


2012年10月14日日曜日

ロルプレはいつも真っ白

連投の翌朝」で記しました京都での研修の後、京都の先輩から
「Mediationの勉強会に参加しないか?」とお誘いを受けました.
今日はその有志の勉強会に「初参加」して参りました.

Mediationって耳慣れない(って僕だけかな?)言葉ですよね!
ひと言で(僕は)訳せないので、高校から愛用の英和辞典をひいて
みましょう.
不可算名詞・「仲裁、調停」.
「な~んや,辞書ではひと言で訳してるやん!」なんと素っ気ない!

失礼しました・・・(コホン!).
今日の勉強会は,いつもの調査士どうしの研修とはずいぶん趣き
をコトにしておりました.司法書士が立ち上げた勉強会だからか,
女性が半数を占め,中には大学院生や大学の研究者の先生も僕
と同じく初参加されていたのです.

人の話を聴く,質問をして状況を把握する,云々カンヌン・・・
司法書士の先生が講師になり,講義を受けながらも,いざロール・
プレイングが始まると,頭の中が真っ白になり,制限時間を失念
するという失態を1度ならずも2度までも演じてしまいました(>_<)!!

①僕って「時の記念日」生まれで,時刻表が愛読書のはずやのに,
タイムキーパーができひんかったら「アカンやん!

②大学のお二人は法学部で民事訴訟法と法社会学,というこれ
また僕にとっては,雲をつかむ(ようでは駄目なんですよ!)ような
分野を研究されているのですが,法律の理論を市民に分かりやすく
実践(リーガル・カウンセラー)する研究,とお聴きして「おぉー!」
と納得しました.

傾聴は昨年「学んだ」つもりでも,やはり実践を積まないと「モノ」
になりませんね!当たり前のことですが「理論+実践」を実行でき
てこそ,「プロ」である,原則が骨身にしみた勉強会でした.
せっかくのご縁ですので,この勉強会には引き続き出席しよう!,
と即決しました.



濡れるバス停で『バシャ!!』」から始まった[大モリ]BLOG第6シリーズ
も,おかげさまでこの投稿をもって最後となりました.
投稿上では「〇〇シリーズ」と銘打つことはしませんでいたが,本当に
辛抱強くお読み下さっている方々は「何シリーズ」かおわかりになられ
ましたでしょうか?
※おわかりにならなくても,いっこうになんら差支えはございません!


では,また日を改めまして,第7シリーズでお目にかかりたいと思います.

おやすみなさいませzzz



2012年10月13日土曜日

めったに降りない玉造

明日は,140周年の
「鉄道の日」.
僕がこの世に誕生した
年がちょうど100周年
にあたる年でしたので,
もう僕の年齢はお判り
ですよね~(^-^;;

10月ももう半ば.
すっかり気候は秋めい
て,食卓には秋刀魚の
塩焼きが並ぶ季節にな
りました!

さて今日は,天満(環状線外回りで大阪の次の駅)駅最寄りの「研修センター」
という建物で朝から夕方まで,大変勉強になる講義を聴いてまいりました.
その帰りに僕が席を借りている事務所に向かう,そのルート上のお話です.

久しぶりに大阪環状線が登場する投稿ですね!
天満駅から玉造駅まで,まぁこのような利用は僕にとっては珍しいことです.

藪から棒ですが,僕が「環状線沿線に住むならどこの住みたいか」
ランキング・ベスト3の発表です!(最寄りの地元駅を除く)

1位 天満駅
2位 玉造駅
3位 桃谷駅

いずれの駅にも共通点があります!
① アーケード商店街が駅に直結している.
② 住宅密集地(ようは「下町」)である.
③ 大阪駅(梅田)に(比較的)近い.

皆さんのベスト3はいかがでしょうか?

「天満」は,母方の祖母(存命)の出身地ですので,僕に流れる血の
4分の1を占める「生粋」の大阪ルーツの地でもあります.

玉造は,本当に久しぶりに改札(子の頃はなかった南出口)を「出た」
のですが,商店街と下町情緒あふれる通りを抜け,「玉造筋」という
南北幹線道路から西に入った途端,にわかに町の雰囲気が一変
するのです!
特に「真田山」という交差点から西に延びる道路を進むと,石畳?調の
上り坂をのぼりながら右手に「真田山小学校」,左手に市立のスポーツ
施設,その他私立学校やハイソ?なマンションが建ち並んでいます.
同じ大阪市内でありながら,天王寺区内の施設(小学校も含む)は,
「かくも違いがあるものか!」を実感(羨望の眼差し)します.

さて,坂道はゆるくアップダウンを繰り返しながら,上町筋との交差点
「上本町4丁目」に出ます.この交差点が最寄りのビルの一室に,僕が
間借りしてお世話になっております「デスク」と「パソコン」があるのです.

さて×2,歩みをそのまま西に進めますと谷町筋「谷町7丁目」交差点,
そこから下り坂で松屋町筋「瓦屋町2丁目」,次は「堺筋周防町」,そし
てミナミの繁華街を横断します.ヨーロッパ通り,「御堂筋周防町」,ア
メリカ村三角公園を抜けて四ツ橋筋を渡ると,繁華街は瞬く間に姿を
消し,西区のオフィスとマンションが混在する地区を横切ります.
なにわ筋・あみだ池筋と交差し新なにわ筋との交差点に皆さんお馴染
みの「大阪市立中央図書館」があり,そのまま西進すると千代崎橋を
渡ります.この辺りからまた一段と下町情緒が増してきて,みなと通り
をこえてから九条新道と呼ばれるアーケード商店街を抜けますと,
「源兵衛渡(「げんぺいわたし」と読みます)」という交差点があります.
文字どおり,「渡し船」があったのでしょうね!いまは人と自転車専用
河底トンネル」を利用するとあら不思議!「真田山」~「上本町4丁目」
~ヨーロッパ通り~西九条駅は,一本の道で結ばれていたのです!
大阪の下町~文教地区~オフィス~歓楽街~下町を「堪能」できる
一本の道.皆さんお時間があるときに是非歩いてみて下さいませ!

「えっ?今日の帰りに歩いたのか?」って?
もちろん,市バス乗継(大阪駅前経由)で帰宅いたしました.

そしてもちろん,学生時代にこのルートを東進し,鶴橋まで歩きました
焼き肉を食べに行くために,ですが,何か・・・!?
(^0^)//


2012年10月12日金曜日

類焼倒壊避難困難

のっけからのけ反るような単語の数珠つなぎ,
ご容赦のホドを・・・m(_ _)m

今夜のNHKニュース「関西845」のトップニュースの見出し.
「危険な密集市街地」
という,センセーショナルな?文字でした!

NHKのHPの記事も参照しますと,全国で
「市街地6000ha 地震で火災の危険に」

このうち,危険な密集住宅地が全国で最も多い(広い)のが,
「大阪府」2248ha,さらにその中で最も(危険が)密集している
のが「大阪市」の1333ha

だそうです.こんなときだけやっぱり「大阪」がイチバン!
引き合いに出されます.
「そんなことないやろう!」
僕はテレビ画面に映し出された,特に危険な密集地域の地図を
みて,そう声が出ました.

まずは,僕の地元区がその密集地区に含まれていなかったこと.
そして,東京都区内の方が大阪市内よりも圧倒的に人口が多い
のに何故「大阪」がイチバン?

拙宅の周囲でも,いわゆる「路地」に軒を連ねる木造住宅が密集
しています.区画整理がなされていない「災害に弱い」下町の家々
がところ狭しと並んでいます.
ましてや近年,新築の建売住宅はほぼ100%「木造3階建」です!

神戸で17年前に都市直下型地震による大火災が発生しました.
でも,拙宅周辺では,木造住宅が減る兆しは少なく,むしろ増加の
気配すらあります.

「防災」「減災」が声高に叫ばれても,災害に強いまち作りについて
は,現実はまったく進行していない,と感じざるを得ません.

南海トラフ巨大地震が発生し,最悪32万人以上の犠牲者・被災者
に支払われる生命保険金(試算)は4兆円にのぼる!

想像もつかない,とてつもない,数字です.


2012年10月6日土曜日

寝覚めない緊急停車!

それにしても,今夜は久しぶりに
「コワイ目」にあいました!

今日もいいお天気でしたね!
僕は以前から相談を受けていた
登記案件が完了した,旨を確認
するために,今日は「南河内」に
出向いておりました.

その町内に「大阪府立近つ飛鳥
博物館」がありますので,少し寄
り道をして,左の秋季特別展も
観覧してまいりました.

さてさて,その知人宅で再び三度
晩ご飯をご馳走になり,本当にお
なかがいっぱいになり,いつもど
おり喜志駅まで送っていただき,近鉄河内長野発準急に乗り,次の「古市」
駅で先発の吉野発大阪阿部野橋行き急行に乗り換えた後にその「トラブル」
は発生シマシタ!
無事,大阪阿部野橋に到着.(折り返し橿原神宮前行き区間急行)

さて左の写真の電車,
何だかいつもの近鉄
電車と「どうも様子が
違う」とお感じになった
そこの「あなた」!
「正解です!」

噂では知っていました
今年は近鉄吉野線(橿
原神宮前~吉野)が開
業して100周年になる
のを記念して,昭和32
(1957)年に登場した
「ラビットカー」塗装を復刻した電車が走っているということを.
ですが,その復刻塗装の実車にお目にかかったのは初めてでした.
実際のラビットカーは,もう「廃車」されており,写真の電車は昭和43(1969)年
登場した6020系(と言われても...ですよね!)といわれる現役車両です.

古市を先発したこの急行は,もう終点の大阪阿部野橋までノンストップ.
のはずだったんですが・・・

高見の里駅を通過した直後「プシュッ」という音とともに急激に減速!
そう「非常ブレーキ」がかかったのです!
僕は最後尾の6両目に乗車していましたが,ドキドキ!ドキドキ!!
「はやくとまってくれ~」
心の中でひたすら念じました(>_<)!!実際に緊急停車するまでの時間の実に
長く感じられたこと!イヤな衝撃もなく停車してから車内巡回中の車掌さん
が慌てて乗務員室に駆け込み運転士と連絡をとって,ほどなく電車は動き
出しました.車掌からは「踏切にヒトが侵入したための非常停車」との車内
アナウンスにホッと胸を撫で下ろしました.

僕はふだん,あまり踏切のない路線を利用することが多く,よっぽどでは
ない限り「非常ブレーキ」がかかる経験は,そう多くはないのです.
ましてや「高見の里」~「布忍(ヌノセと読みます)」の間には,急カーブが
存在するため,僕は「非常ブレーキ」音が耳に届いた瞬間,即座にあの
凄惨な「福知山線脱線事故」の記憶が脳裏を過ぎったのです!!

ところが...僕の並びに座っていた若い女性は居眠ったまま
寝覚めるコトもなく,「緊急停車」を知らないまま阿部野橋到着後,電車を
降りていきました.
僕は上の写真の撮影途中,「乗務員室」の車掌に声をかけました.

「事故でなくて,よかったですね!」


2012年10月4日木曜日

もっと広かった...?

しばらく「政治(?)ネタ」が続きましたので...m(_ _)m

今日は久しぶりに地元「大阪梅田」を歩いたお話を...と
申しましても,ほとんど愚痴に近いのですが・・・(^_^;

阪急百貨店の建て替えで閉鎖されたJR大阪駅から阪急
梅田駅への地上連絡通路が,およそ三年ぶりに開通した,
という報道がなされたのが2日目の10月2日.
きょう僕は新装の通路の「歩き初め」をしてまいりました!

写真① 画面左上のガードは大阪環状線・内回り線














上の写真①をご覧ください.
JR大阪駅側から東方向に撮影した地上連絡通路の様子です.
僕は,真っ先に「もっと広かった!」と心の中で叫んだのです!
手前の横断歩道の幅にくらべ,新・入口の左(北)側がおよそ
30%程が狭くなっている,とお感じになりませんか?
次の写真②は阪急側から西方向JR大阪駅に向けて撮影しました.
いかがでしょう?横断歩道の手前で右(北)側の壁がやはり大き
く左(南)へせり出してきていて,まるでJR大阪駅への横断歩道
に「通せん坊」をしているように感じられませんか?

写真② 建て替え前通路の右側に歩道橋へ上がるエスカレーターが...














この通路は,僕が中学・高校・大学時代に,毎日通学で歩いていた
通路なので,以前の通路の光景が脳裏に焼きついて離れません.
連絡通路はほぼ平行に同じ幅を保ち東西を結んでいました.

もう一度,写真①をご覧ください.
アーチ型の新・建物入口の左(北)半分が従来の連絡通路の機能を,
その右(南)半分が「百貨店への入口」の機能を担っていたのです!

つまり!

JR・阪急乗換客の連絡通路機能というよりはむしろ,実態は,その
百貨店入口への「誘導路」としての機能を前面に打ち出していました!
まだもうひとつ!横断歩道上の歩道橋の阪急側,って以前はその
まま幅の狭いエスカレーターで連絡通路と直結されていましたが,
この度の建て替えでは「いったん百貨店に入らないと連絡通路に
出にくくなった」つまり,横断歩道の補完的役割を放棄しています!

僕はショックが大きかったです.
創建時の姿に」の頁でもその所感を述べましたとおり,昨年5月に
誕生した「OSAKA STATION CITY」.その中で「流通を中心に駅が
小さく間借りしているという印象が拭いきれない」と強調しました.

この度の約3年ぶりのJR・阪急連絡通路の再開通も,百貨店への
誘導がメインで,こちらでも「流通を中心に考えた建造物」が,出来
上がっていたのです...

鉄道はもはや「衰退産業」に過ぎないのか...?
駅の機能よりも,物販売上・賃貸収入のほうがそれほど大切なのか...?

西の「阪急」,東の「東急」.
鉄道をベースに編み出された沿線の宅地開発や遊園地・歌劇団の
創設,ターミナルに百貨店を設け,鉄道本来の利用客を増やす,と
いう創業のビジネスモデル.
その主役が「鉄道」から「流通」に,時の流れとともに「移り変わった」,
ここでもやはり「諸行無常」を感じずにはおられない私であります.

見せびらかしま~す(^-^;)

昨日に続いてで恐縮ですが・・・m(_ _)m

今日も「法務大臣」ネタです.
法務大臣を「ネタ」にするなんぞ,本来なら畏れ多いことでは
ある「ハズ」なのですが・・・

以下は,今日授与を受けた認定証書です.




















1月から3月まで,ぶろぐ(BLOG)投稿をお休みしてまで,
何年かぶりに真剣に(?)勉強し(!),考査を受けてから半年
以上の時間を経て「いただきました!」僕にとっては...

久しぶりの☆☆☆☆☆(星5つ)です!

ですが,皆さん,日付と法務大臣名をご覧ください.
10月1日は閣僚交代(更迭?)の日でしたよね!
ですが,辞任に近かった前大臣名の名前で発行されています.

思わず受取時に,法務事務官に
「大臣の名が・・・」と,余計なツッコミを入れてしまいました.
我ながら「悪いクセ」,口は災いのモトです.
事務官も苦笑しながらの即答で「交代のタイミングの前でしたので」
と応じてくれました.

今年3人目の大臣名による,任期最後の日発行の証書です.

ちなみに,前回法務大臣名で証書の授与を受けたのは平成13年
11月.いまからおよそ11年前になるのですね.
当時の法務大臣は「森山真弓」氏でした.

あれから11年!
森山法務大臣から,いったい何人目の法務大臣なのか?

勘定する「気力」など,
「これっぽっちも」
持ち合わせてなど,おりません...(-_-;)


2012年10月3日水曜日

ころころ、コロコロ...

平成13年のパンフです。
いつもは,政治的・商業的・宗教
的メッセージを発信することを
「よし」とはいたしませんが,今日
前者二つに関しメッセージを
述べさせていただきます.

日本に近代政府が産声を上げて
からその名称が変更されていない
「省庁」がいくつあるかご存じで
しょうか?
僕の記憶では「外務省」と
「法務省」の二つだけだと思うの
ですが.
※間違いがあれば即ご指摘くださ
いませ~♪

二日前に発足した「(新)内閣」.
三年前に政権交代がなされてか
ら,なんと「8人目」の法務大臣
今年に入ってからはなんとなんと
「4人目」の法務大臣!

大臣の椅子とはこんなに・・・

最も遅くても来年の「9月」には,「総選挙」が実施されます.



2012年10月1日月曜日

久しぶりの草抜き

特急通過後の中継信号、「注意」!

今日から「神無月」.
今年もあと残すところ3カ月になりました.

昨日は台風が列島を駆け抜け,大きな
被害も!自然の威力には,いつも「無力
感」を味わざるを得ません(>_<)

僕は台風一過のきょう,市内の保育所の
清掃作業に従事してまいりました.
昨年も一度伺った保育所で,草刈り機
でバシバシ草を刈ったのですが,今日は
「カマ」を片手にジャンジャン草を根こそ
ぎ刈ってまいりました!
それにしても,地面の下の小さくも力
強い「自然」,雑草たちのたくましい生命
力!には今回も感嘆の連続でした...

現場作業に「やっと」心地よい時季が巡ってきましたね~(^o^)//