2012年10月4日木曜日

もっと広かった...?

しばらく「政治(?)ネタ」が続きましたので...m(_ _)m

今日は久しぶりに地元「大阪梅田」を歩いたお話を...と
申しましても,ほとんど愚痴に近いのですが・・・(^_^;

阪急百貨店の建て替えで閉鎖されたJR大阪駅から阪急
梅田駅への地上連絡通路が,およそ三年ぶりに開通した,
という報道がなされたのが2日目の10月2日.
きょう僕は新装の通路の「歩き初め」をしてまいりました!

写真① 画面左上のガードは大阪環状線・内回り線














上の写真①をご覧ください.
JR大阪駅側から東方向に撮影した地上連絡通路の様子です.
僕は,真っ先に「もっと広かった!」と心の中で叫んだのです!
手前の横断歩道の幅にくらべ,新・入口の左(北)側がおよそ
30%程が狭くなっている,とお感じになりませんか?
次の写真②は阪急側から西方向JR大阪駅に向けて撮影しました.
いかがでしょう?横断歩道の手前で右(北)側の壁がやはり大き
く左(南)へせり出してきていて,まるでJR大阪駅への横断歩道
に「通せん坊」をしているように感じられませんか?

写真② 建て替え前通路の右側に歩道橋へ上がるエスカレーターが...














この通路は,僕が中学・高校・大学時代に,毎日通学で歩いていた
通路なので,以前の通路の光景が脳裏に焼きついて離れません.
連絡通路はほぼ平行に同じ幅を保ち東西を結んでいました.

もう一度,写真①をご覧ください.
アーチ型の新・建物入口の左(北)半分が従来の連絡通路の機能を,
その右(南)半分が「百貨店への入口」の機能を担っていたのです!

つまり!

JR・阪急乗換客の連絡通路機能というよりはむしろ,実態は,その
百貨店入口への「誘導路」としての機能を前面に打ち出していました!
まだもうひとつ!横断歩道上の歩道橋の阪急側,って以前はその
まま幅の狭いエスカレーターで連絡通路と直結されていましたが,
この度の建て替えでは「いったん百貨店に入らないと連絡通路に
出にくくなった」つまり,横断歩道の補完的役割を放棄しています!

僕はショックが大きかったです.
創建時の姿に」の頁でもその所感を述べましたとおり,昨年5月に
誕生した「OSAKA STATION CITY」.その中で「流通を中心に駅が
小さく間借りしているという印象が拭いきれない」と強調しました.

この度の約3年ぶりのJR・阪急連絡通路の再開通も,百貨店への
誘導がメインで,こちらでも「流通を中心に考えた建造物」が,出来
上がっていたのです...

鉄道はもはや「衰退産業」に過ぎないのか...?
駅の機能よりも,物販売上・賃貸収入のほうがそれほど大切なのか...?

西の「阪急」,東の「東急」.
鉄道をベースに編み出された沿線の宅地開発や遊園地・歌劇団の
創設,ターミナルに百貨店を設け,鉄道本来の利用客を増やす,と
いう創業のビジネスモデル.
その主役が「鉄道」から「流通」に,時の流れとともに「移り変わった」,
ここでもやはり「諸行無常」を感じずにはおられない私であります.