今年12度目の晦日=大晦日を迎えております.
この年末,いかがお過ごしでしたでしょうか?
僕個人の身の上話で(いつも)恐縮ですが,僕は今年は近年
稀にみる珍しい年の瀬を送っておりました(^_^;)
役所と金融機関が28日同日に仕事納めを迎えた,こちらも
珍しい金曜日の繁華街.賑やかな人通り,僕は忘年会を一次
会で失礼し帰宅した後,心当たりのない極度の疲労感から眠り
込んでしまいましたzzz
「稀にみる」とは居眠ってばかりのこの二日間でした.と同時に
この二日間に久しぶりにゆっくり読書に没頭できたのです(^^)//
といっても解消できた積読は2冊に過ぎませんが・・・
最後の1冊は今年の僕の迷いと決意を象徴する(と僕が考える)
「ナラティヴ・アプローチ」にしました.
・調停・・・Mediation (≠Conciliation ではありません)
・物語り・・・Narrative
いずれも今年一年という時間をかけて様々な研修やシンポ・勉
強会にに足を運び,2013年の大きな勉強目標の柱を,上記の
「Mediation」
「Narrative」
に据えよう,と決意しました.
どちらの単語も,今年の始まりの頃の僕の頭では全く出会った
ことのない言葉(用語)ですので,まだまだ皆さまに僕の口から
ご説明できるような段階ではありません.
でも,紛争を解決する,その手段として「法律」には限界がある,
その事実に,この12月に気付けたことが僕にとっては,大きな
Turning Point になったことは間違いがない,とは言えます.
勿論,これからも法律に基づいて仕事に取り組んでまいります.
でも,紛争・諍いを解決して,和解・希望の持てる手段として,
法律だけに頼らない,僕個人の人間性も全てぶつけていける
よう,来年も精進していきたい!
そう考えながら,大晦日の朝を迎えるべくそろそろ寝床に就こう
と思います.
私の氏素性をご存じの皆さん,今年一年も大変お世話になりま
した.このWEBLOGを通じて僕の近況報告を含め,本当に辛抱
強くお付き合いくださったことにも,心底感謝申し上げます.
また,僕の実態をご存じなく,偶然このBLOGをお読みくださった
方々にも,この場をお借りしてお礼申し上げます.
これで[大モリ]BLOG第7シリーズも無事幕を降ろせそうです.
みなさま,どうぞよいお年をお迎えくださいませ!
2012年12月27日木曜日
「新聞」から三連投稿
[大モリ]BLOG第7シリーズも,この投稿を含め「N」と「M」の残す
ところまで至りました.
今日は一日で「新聞」記事ばかり引用して,明らかな「手抜き」との
ご批判を覚悟で敢えて今夕刊のコラムを以下に全文を転載します.
考古学と歴史
歴史書を丸ごと信じてはならぬと肝に銘じたのはオーストラリア
研究を始めてからだった。この大陸は何万年も前から先住民の
アボリジニが住んでいたのに、その記述はたかだか数ページ、
あとは200年かそこらかの白人のことという本ばかりで、怒りさえ
覚えたほどである。
歴史を狭く規定すれば文字で書かれたもの、従って支配階級の
書き手に都合良くまとめられており、不都合なものは無視されるか
歪められている。単に書き落とされたものも無数にあるはずだ。
四国の小さな町に住んでいた歴史好きの少年は、自分の祖先や
故郷が日本史の中でどんな役割をはたしたのかと関心を持つの
に、そんな記事は全く見当たらず、苛立たしかった。考古学をやり
始めたのはそんな思いからかもしれない。土の中に確かな証拠が
残されているんじゃないかと。
文字を持たない民族は世界中に存在する。彼らは自らの歴史を
神話や伝承として語り継いできた。われわれはどこから来たのか、
何者なのか、どこへ行くのか、それは生きるために欠かすことの
できない思想なのである。
その語りはしばしば時間を無視し、しかもファンタジーの衣にくる
まれている。しかし、それを事実無根と切り捨てれば何も残らない。
書かれた歴史と神話・伝承の間に大きな断層がある、その間にあ
る混沌とした情報を、時間的に整合し、誤りや偏見を排して、実証
して行くことが考古学の役割だと考えるのである。今の世界では
文化の多様性を受け入れざるを得なくなった。そこで共通するもの
は何か、違いをどう解釈するのかを見極めていくのが正しい歴史
の扱い方ではないだろうか。
以上,考古学者の方の論文です.
「流石!」と言えば失礼にあたるのは「百も承知」でありますが.
自身の学術研究に礎をおく理路整然とした論文には,内容の正否
は別として,目を,心を奪われるモノが感じられます.
さぁ,明日は仕事納め,という方も多いのではないでしょうか?
結局,政局に揺れに揺れた平成24年も,[大モリ]BLOG第7シリー
ズも,いよいよGOALが見えてまいりました,ネ...(^_^;)
ところまで至りました.
今日は一日で「新聞」記事ばかり引用して,明らかな「手抜き」との
ご批判を覚悟で敢えて今夕刊のコラムを以下に全文を転載します.
考古学と歴史
歴史書を丸ごと信じてはならぬと肝に銘じたのはオーストラリア
研究を始めてからだった。この大陸は何万年も前から先住民の
アボリジニが住んでいたのに、その記述はたかだか数ページ、
あとは200年かそこらかの白人のことという本ばかりで、怒りさえ
覚えたほどである。
歴史を狭く規定すれば文字で書かれたもの、従って支配階級の
書き手に都合良くまとめられており、不都合なものは無視されるか
歪められている。単に書き落とされたものも無数にあるはずだ。
四国の小さな町に住んでいた歴史好きの少年は、自分の祖先や
故郷が日本史の中でどんな役割をはたしたのかと関心を持つの
に、そんな記事は全く見当たらず、苛立たしかった。考古学をやり
始めたのはそんな思いからかもしれない。土の中に確かな証拠が
残されているんじゃないかと。
文字を持たない民族は世界中に存在する。彼らは自らの歴史を
神話や伝承として語り継いできた。われわれはどこから来たのか、
何者なのか、どこへ行くのか、それは生きるために欠かすことの
できない思想なのである。
その語りはしばしば時間を無視し、しかもファンタジーの衣にくる
まれている。しかし、それを事実無根と切り捨てれば何も残らない。
書かれた歴史と神話・伝承の間に大きな断層がある、その間にあ
る混沌とした情報を、時間的に整合し、誤りや偏見を排して、実証
して行くことが考古学の役割だと考えるのである。今の世界では
文化の多様性を受け入れざるを得なくなった。そこで共通するもの
は何か、違いをどう解釈するのかを見極めていくのが正しい歴史
の扱い方ではないだろうか。
以上,考古学者の方の論文です.
「流石!」と言えば失礼にあたるのは「百も承知」でありますが.
自身の学術研究に礎をおく理路整然とした論文には,内容の正否
は別として,目を,心を奪われるモノが感じられます.
さぁ,明日は仕事納め,という方も多いのではないでしょうか?
結局,政局に揺れに揺れた平成24年も,[大モリ]BLOG第7シリー
ズも,いよいよGOALが見えてまいりました,ネ...(^_^;)
「恩恵」を受けていても
前頁に続いて同日付の夕刊記事からの話題ですm(_ _)m
僕にとっては極めて心外な記事でした!その全文を引用します.
平清盛の視聴率過去最低
■NHK 23日に終了したNHK大河ドラマ「平清盛」の全50回の平均
視聴率が関東地区で12.0%、関西地区で11.6%といずれも過去最
低だったことが25日、ビデオリサーチの調べで分かった。これまでの
最低は、関東は「花の乱」(1994年)の14.1%、関西では「春の波濤」
(85年)も13.0%。昨年の「江~姫たちの戦国~」は関東で17.7%、
関西で17.8%だった。「平清盛」は1月の初回放送後に井戸敏三兵庫
県知事が「画面が汚い」と批判した独特の演出のほか、複雑なストー
リー展開が視聴者に敬遠されたとみられる。
明けて翌朝刊のピックアップ記事
「平清盛」で観光客増
兵庫知事「画面変わらず」
兵庫県の井戸敏三知事は25日の記者会見で、NHK大河ドラマ「平
清盛」について「観光客数の増加につながった」と評価した反面、内
容については「一視聴者として分かりにくかった」と話した。
観光客数が昨年比で5割以上増えた観光地があるとして井戸知事
は「注目を集めたのは確かで、感謝している」と述べた。今年1月の
放送開始後に「画面に鮮やかさがなく汚い」と批判し話題となったが、
「あれだけ注文したのに、最後まで変わらなかった」と振り返った。
・・・・・・・・・(-_-;)
以下は徹底的に私見です.
「平家、が主役だから?」の頁,及び1月に突如閉鎖した前[大モリ]ぶ
ろぐの最終頁「大輪田泊」でも,井戸知事の批判発言をさらに「批判」
しました.僕個人が2007年「風林火山」以来の大河ドラマ視聴である
ことも既述のとおりです.
まず,「画面が汚い」から考えてみましょう.
僕は子の頃から不思議でした.最近は少なくなったテレビ「時代劇」の
夜のシーン.撮影上とはいえ,どう考えても「ライトに照らされている」
室内や路地のシーン.子ども心に疑問を感じていましたよ!
「だって!」そうでしょう!電気のない時代,蝋燭や薪の灯りしかない
時代のハズなのに「何でこんなに明るいの?」
前段の夕刊記事に「独特の演出」とありますが,私見は徹底的に時代
考証を重ねた結果だ,とみます.これまでの時代劇が明る過ぎた!
のです.出演の役者がキレイ過ぎた!のです.
次に,「複雑なストーリー展開」について考えてみましょう.
歴史は単純ではありません.当たり前です.
光のあたる「勝者側の歴史」,その常道として悪役として影を負わされ
る「敗者側の歴史」.勝者・敗者にかかわらず,後世に伝えられる歴史
は必ず歪曲されていることも周知の事実です.
つまり,複雑なのではなく「敗者側の歴史」だから,悪者としての先入
観にそもそもテレビをみる目が曇らされているだけに過ぎません.
但し,大河ドラマも「ドラマ(演劇・芝居)」ですので,100%歴史の真実
を再現している訳ではありません.そんなこと,そもそも誰がプロデュー
サーであっても,誰が演出しようとも不可能です.現に「京(公家)ことば
」は徹底的に再現されていませんでした.これも現代の言語学からは,
平安末期の「話し言葉」を再現するのが不可能だから,でしょう.
つまり,兵庫県知事の発言は,「金儲けには役立ったけど,所詮,平家
(今風に言う「負け組」)の物語やから,悪口言うても大丈夫やろう」とい
う凡そ元・中央官僚らしい狡猾で浅はかな発想に基づいている,と自ら
開陳している.「僕は」そう,断言します.
まっ,知事だろうが誰だろうが,何を考え,何を発想しても「内心は自由」
なんですけどねェ・・・(-_-;)
僕にとっては極めて心外な記事でした!その全文を引用します.
平清盛の視聴率過去最低
■NHK 23日に終了したNHK大河ドラマ「平清盛」の全50回の平均
視聴率が関東地区で12.0%、関西地区で11.6%といずれも過去最
低だったことが25日、ビデオリサーチの調べで分かった。これまでの
最低は、関東は「花の乱」(1994年)の14.1%、関西では「春の波濤」
(85年)も13.0%。昨年の「江~姫たちの戦国~」は関東で17.7%、
関西で17.8%だった。「平清盛」は1月の初回放送後に井戸敏三兵庫
県知事が「画面が汚い」と批判した独特の演出のほか、複雑なストー
リー展開が視聴者に敬遠されたとみられる。
明けて翌朝刊のピックアップ記事
「平清盛」で観光客増
兵庫知事「画面変わらず」
兵庫県の井戸敏三知事は25日の記者会見で、NHK大河ドラマ「平
清盛」について「観光客数の増加につながった」と評価した反面、内
容については「一視聴者として分かりにくかった」と話した。
観光客数が昨年比で5割以上増えた観光地があるとして井戸知事
は「注目を集めたのは確かで、感謝している」と述べた。今年1月の
放送開始後に「画面に鮮やかさがなく汚い」と批判し話題となったが、
「あれだけ注文したのに、最後まで変わらなかった」と振り返った。
・・・・・・・・・(-_-;)
以下は徹底的に私見です.
「平家、が主役だから?」の頁,及び1月に突如閉鎖した前[大モリ]ぶ
ろぐの最終頁「大輪田泊」でも,井戸知事の批判発言をさらに「批判」
しました.僕個人が2007年「風林火山」以来の大河ドラマ視聴である
ことも既述のとおりです.
まず,「画面が汚い」から考えてみましょう.
僕は子の頃から不思議でした.最近は少なくなったテレビ「時代劇」の
夜のシーン.撮影上とはいえ,どう考えても「ライトに照らされている」
室内や路地のシーン.子ども心に疑問を感じていましたよ!
「だって!」そうでしょう!電気のない時代,蝋燭や薪の灯りしかない
時代のハズなのに「何でこんなに明るいの?」
前段の夕刊記事に「独特の演出」とありますが,私見は徹底的に時代
考証を重ねた結果だ,とみます.これまでの時代劇が明る過ぎた!
のです.出演の役者がキレイ過ぎた!のです.
次に,「複雑なストーリー展開」について考えてみましょう.
歴史は単純ではありません.当たり前です.
光のあたる「勝者側の歴史」,その常道として悪役として影を負わされ
る「敗者側の歴史」.勝者・敗者にかかわらず,後世に伝えられる歴史
は必ず歪曲されていることも周知の事実です.
つまり,複雑なのではなく「敗者側の歴史」だから,悪者としての先入
観にそもそもテレビをみる目が曇らされているだけに過ぎません.
但し,大河ドラマも「ドラマ(演劇・芝居)」ですので,100%歴史の真実
を再現している訳ではありません.そんなこと,そもそも誰がプロデュー
サーであっても,誰が演出しようとも不可能です.現に「京(公家)ことば
」は徹底的に再現されていませんでした.これも現代の言語学からは,
平安末期の「話し言葉」を再現するのが不可能だから,でしょう.
つまり,兵庫県知事の発言は,「金儲けには役立ったけど,所詮,平家
(今風に言う「負け組」)の物語やから,悪口言うても大丈夫やろう」とい
う凡そ元・中央官僚らしい狡猾で浅はかな発想に基づいている,と自ら
開陳している.「僕は」そう,断言します.
まっ,知事だろうが誰だろうが,何を考え,何を発想しても「内心は自由」
なんですけどねェ・・・(-_-;)
多彩な国、ニッポン!
ラジオで気象予報士さんが「クリスマス寒波の置き土産」と表現
されていた今朝の凍てつく寒さ!
「ウマいこと言うなー」と,なかなか抜け出せないフトンの中で,
「ポン!」と膝を叩いておりました(^_^)//
さて,数日前の夕刊に,とても「僕の」気を惹いたコラムが掲載
されていましたので,皆さまにもご紹介させていただきます.
「狭くて広い国」 ...途中より
狭い国土が47の都道府県に区切られている我が国。それでいて、
各県は地形・気候が相違し、同じ県内でも地域によって言語・気質
に個性が有る。職掌柄、府県に度々赴任し、全国各地に出張した
が、何処に行っても新鮮だった。関西各県には独自の文化的輝き
があり、高知は尊敬する県人第1位が今もって坂本竜馬で反骨の
イゴッソウが溢れていた。関東県多くは、権威を尊重する姿勢が強
く自己宣伝を良しとしない気風等々。
地方の個性・多様性が醸成されたのは、平安時代に66国2島に
確定した「国」が、千数百年に渡って地方行政区分の基礎とされた
こと。実質は300余藩の分権であった幕藩体制が260年も続いた
こと。廃藩置県が、藩を引き継いだ上で統合する道を歩んだこと等
に因るのではないかと想像する。四季もあり、素晴らしきかな「狭い
が広い」多様な国、日本!
いかがでしょう?簡潔な文章の中に日本の多彩さを見事に表現さ
れている,と「僕は」感嘆しました.
今年は偶然ですが,横浜・札幌・仙台と「東へ北へ」,と遠出をする
機会に恵まれました.ふだんは大阪の都会地(と僕は思っています)
に暮らす僕にとって,都会地そのものにはあまり興味はないのです
が,「井の中の蛙大阪しか知らず,やなぁ...」と何度も感じました.
また,京阪神にも機会を得ては出向き,この100kmにも満たない
地域にも確実な「文化の違い」がある!と実感せずにおられません
でした.
だってぇ,京阪神の3府県の中に,上記文中の66国のうち摂津・河
内・和泉・播磨・淡路・但馬・山城・丹波・丹後の9国も「ひしめいて」
いるのですから!
されていた今朝の凍てつく寒さ!
「ウマいこと言うなー」と,なかなか抜け出せないフトンの中で,
「ポン!」と膝を叩いておりました(^_^)//
さて,数日前の夕刊に,とても「僕の」気を惹いたコラムが掲載
されていましたので,皆さまにもご紹介させていただきます.
「狭くて広い国」 ...途中より
狭い国土が47の都道府県に区切られている我が国。それでいて、
各県は地形・気候が相違し、同じ県内でも地域によって言語・気質
に個性が有る。職掌柄、府県に度々赴任し、全国各地に出張した
が、何処に行っても新鮮だった。関西各県には独自の文化的輝き
があり、高知は尊敬する県人第1位が今もって坂本竜馬で反骨の
イゴッソウが溢れていた。関東県多くは、権威を尊重する姿勢が強
く自己宣伝を良しとしない気風等々。
地方の個性・多様性が醸成されたのは、平安時代に66国2島に
確定した「国」が、千数百年に渡って地方行政区分の基礎とされた
こと。実質は300余藩の分権であった幕藩体制が260年も続いた
こと。廃藩置県が、藩を引き継いだ上で統合する道を歩んだこと等
に因るのではないかと想像する。四季もあり、素晴らしきかな「狭い
が広い」多様な国、日本!
いかがでしょう?簡潔な文章の中に日本の多彩さを見事に表現さ
れている,と「僕は」感嘆しました.
今年は偶然ですが,横浜・札幌・仙台と「東へ北へ」,と遠出をする
機会に恵まれました.ふだんは大阪の都会地(と僕は思っています)
に暮らす僕にとって,都会地そのものにはあまり興味はないのです
が,「井の中の蛙大阪しか知らず,やなぁ...」と何度も感じました.
また,京阪神にも機会を得ては出向き,この100kmにも満たない
地域にも確実な「文化の違い」がある!と実感せずにおられません
でした.
だってぇ,京阪神の3府県の中に,上記文中の66国のうち摂津・河
内・和泉・播磨・淡路・但馬・山城・丹波・丹後の9国も「ひしめいて」
いるのですから!
2012年12月23日日曜日
クリスマス寒波の夜に
今年もクリスマス寒波が大阪の寒空を演出してくれています.
「寒いですねぇ~(>_<)!!」
こんな寒い夜は自室で心温まるストーリー(物語)を読んで心身に
暖をとってみるのも寒さをしのぐひとつの手段,かと.
このコミックは昨日,僕のBLOGに度々ご登場願っている中学生時代
からの友人M君からプレゼントされたものです.
1巻・2巻も同じくM君から贈られたものが,自室の書棚に大切に
収蔵されております.
主人公の荻野カレチ(※カレチ~長距離列車に乗務する客扱専
務車掌を指す、国鉄内部の呼称。)の車掌人生を舞台に繰り広
げられる様々な奥深い人間模様.
(所々,感動のあまり目頭が熱くなります)
鉄道愛好者ならずとも,是非一度お読みになってみることをおス
スメさせていただきます(^o^)//
M君がこのコミックを僕に贈ってくれた理由は,単にお互いが鉄道
愛好者であるから,という単純なモノだけではありません.
この贈書には,僕の人生に対する「エール」が込められてもいるの
です.
M君,ありがとうm(_ _)m
「寒いですねぇ~(>_<)!!」
こんな寒い夜は自室で心温まるストーリー(物語)を読んで心身に
暖をとってみるのも寒さをしのぐひとつの手段,かと.
このコミックは昨日,僕のBLOGに度々ご登場願っている中学生時代
からの友人M君からプレゼントされたものです.
1巻・2巻も同じくM君から贈られたものが,自室の書棚に大切に
収蔵されております.
主人公の荻野カレチ(※カレチ~長距離列車に乗務する客扱専
務車掌を指す、国鉄内部の呼称。)の車掌人生を舞台に繰り広
げられる様々な奥深い人間模様.
(所々,感動のあまり目頭が熱くなります)
鉄道愛好者ならずとも,是非一度お読みになってみることをおス
スメさせていただきます(^o^)//
M君がこのコミックを僕に贈ってくれた理由は,単にお互いが鉄道
愛好者であるから,という単純なモノだけではありません.
この贈書には,僕の人生に対する「エール」が込められてもいるの
です.
M君,ありがとうm(_ _)m
クリスマス渋滞で進まず
JR仙台駅前のXmasイルミネーション |
気がつけばですが.
明日はクリスマス・イヴ
なんですねぇー(^-^;)
[大モリ]BLOGのアル
ファベットシリーズは,
毎度「X」で頭を悩ませ
るのですが偶然,年中
行事が巡ってまいりま
したので...先日のテレビ
番組ではクリスマスを
「X'mas」と表記するの
は間違い,と取り上げ
ていたところで,僕の英和辞典でも同様の注記がありました.
さて,先週の土曜日の夜.「土地家屋調査士のための東日本大震災報告会」の
会場「仙台国際センター」から懇親会場へのバスでの移動中の出来事.
仙台市内は「仙台光のページェント」というイベントが催されており,市内の
大通りは大渋滞!バスは全く前へ進みません.そのことよりも深刻だった
のは,渋滞中の各車の「運転マナーの悪さ(>_<)!!」
割り込み,クラクション,信号無視で右折で突っ込む交差点etc・・・
別に仙台特有の光景とは「最初は」感じませんでした.
大阪だって運転マナーがいい街か?って問われればほぼ100%の方々
が首を横に振るでしょうから・・・(-_-;)
しかし,バスの運転手さんのひと言で仙台の大渋滞を見る僕の目が変わっ
たのです.
「震災後,特にマナーが悪くなった」
皆さん,このひと言をどうお感じになられるでしょうか?
遵法(順法)精神.震災の大混乱で被災地の人々の心の中で失われかけて
いる?誤解を恐れず文字に表しますが震災の大混乱で「無法地帯」の味を
覚えた被災者たちの心に,交通ルールの意識を再度取り戻す,それをあえ
て「遵法(順法)精神」という語を用いますが,その精神を取り戻すために,
時間がかかるかもしれない.
ニュースでは知ることのできない,現地をこの目で見て,現地の方の生の声
をお聴きすることによって知り得る事実もある.
この,至極当然でありながらつい日常では頭の片隅に追いやられるこの認識
を再度強くしたヒトコマのご紹介でした.
2012年12月17日月曜日
ゼロからのスタート
気仙沼はトイレ休憩だけで通過しました.
港に停泊している漁船も,最近増えてきたばかりだそうです.
「陸の孤島」と気仙沼の調査士さんがおっしゃっていました.
「海と共に生きてきた,海に恨みはない」とも.
陸に乗り上げた巨大な船の真横も通り抜けました.そして,
宮城・岩手県境を越え,いよいよ岩手県陸前高田市にバス
は進んで行ったのです.
仮設の橋を渡りました.
左の写真は市街地です.
川や沼ではありません!
ここでも地盤沈下(86cm)
水がひいていないのです!
土地(所有権)があり,建物
が立ち並んでいたところだ
そうです!信じられますか?
右奥に見えるのは津波で破
壊された市役所・市民会館,ショッピングセンターです.
どうしても足を運んでおきた
かったのには理由があります.
「カ・ン電と送り火の怪」の頁
で京都を引き合いに出し,関
西人の東日本大震災に対する
意識を痛烈に皮肉りました.
(京都の方々,やり玉に挙げて
ごめんなさいm(_ _)m)
皮肉った以上は,自分の目で陸前高田市を見ておく必要が「絶対に」
語り部さんのお話を伺いながら
市街地を進みます.バスガイド
さんは「最近ようやく被災状況
を話せるようになったばかり,
『語り部』さんのように震災を
話せることはなかなかできる
ものではない」とお聞きしていた
ものですから.
数々のお話の中でも,特に印象に残ったのは,瓦礫の撤去ばかりに
税金を注ぎ込むくらいなら,瓦礫はそのままでもいいから,災害復興
住宅(仮設住宅ではありません)を先に作るべきだ!
選挙なんかやってる場合か!
のひと言でした.そうです!昨日は衆議院議員総選挙の投票日でした.
あと・・・ドキュメントでみた,市役所職員や市民が市役所の屋上に避難
したか,道路向かいの避難指定場所,市民会館に逃げたかで非情にも
生死を分けた,その現場にどうしても,どうしても手を合わせたかったか
ら!強い寒風が吹きすさぶ中,僕は両方の祭壇で合掌したのです.
それでも・・・震災当日はもっと気温が下がっていた,とも伺いました.
もちろん,送り火で焚かれることなく仏像として送り返されてきた薪に
ついても感想を伺いました.感情は表に出されていなかったでしょう!
「同じ日本人なのにねェ」とだけ呟くようにおっしゃいました.
救われる話題もひとつ.
3枚目の写真は,川沿いに立つ中学校校舎です.当然3階まで津波が
突き抜けていきました.でもこの学校からは1名の犠牲者もでなかった,
とのことでした.普段の避難訓練が完全に活かされたからだそうです.
時間は午後3時を回りました.大船渡市の視察はやむなく中止とな
り,バスは気仙沼経由で岩手県の内陸部,一関市に向かいました.
東北の日没は大阪よりは30分は早く,既に暗闇が支配を始めた頃,
道の駅で地元の調査士の奥様からおまんじゅうの差し入れがあり,
大変ありがたく,美味しく頂戴いたしました.
バスの隣の座席は,この度の報告会の実行委員の一人である岩手
県会の調査士さんと一緒になり,岩手・大阪の調査士業務の状況な
どの情報交換もいたしました.
大阪は国土調査が全く進んでいません.
津波で更地になれば,土地の問題は深刻を極めるでしょう.
たぶん解決はしないかも・・・
でも,この度の報告会・被災地視察のバスツアーに参加し,現場を
みること以上の意識付けの方法はない!と痛切に感じました.
同じ日本国内の出来事です.
先月末,ようやく大阪でも岩手県の瓦礫の試験焼却が始まりました.
瓦礫、ガレキといいますが,瓦礫はガレキ等では決してなく,被災者
の「破壊された」財産です.絶対に間違えてはいけません.
そして,被災地の現実を決して忘れてはいけません!
ニュースに流れないのは,変化がないから.決して被災が収まった
わけではありません.
僕は非力ながらも,何とか行動したい!と考えてばかりです.
みなさん!
少しでもいいから,被災地のために行動しましょうよ!
3つの投稿に分けてこの度の報告会について記述いたしました.
まだまだ全然お伝えしきれていないことが山積みです.
それでも,辛抱強くお読みくださった皆さまには心の底から感謝申し
上げます.
そして,この報告会を実行に移された岩手・宮城・福島の土地家屋
調査士の皆さまに,この場をお借りし心からお礼申し上げます.
ありがとうございました.
失われた線路も目撃

前日の雨天から一転,晴天に恵まれました!
一日目とバスガイドさんが同じバスの最前
列に席をとり,僕はどうしても足を運びたかっ
た「陸前高田市」の視察が含まれるCコースの
バスツアーがスタートしました.
三陸自動車道を北上し,まずは南三陸町を目
指したのです.道中のバスガイドさんの体験談,
一日目もそうだったのですが努めて明るく,でも
時折目に涙を浮かべながら,またときには言葉
につまりながらのガイドに,胸を打たれてばかり.

にも真剣に耳を傾けながら,僕は流れる車窓に
ファインダーを向けシャッターを切っていました.
国道45号線沿いに走るJR気仙沼線の線路敷が
ようやく視界に入った地点では,すでに運休区間
となっていたのです.「乗りつぶし
ノート」の表紙が偶然三陸南部を
表しています.拡大してご覧いた
だければ,南側気仙沼線の柳津
駅から北側は,すべて運休区間と
なっているのがおわかりになるか
と存じます.
そしてバスは山を越え,南三陸町に
入っていきました・・・
結構内陸部です,でもここまで大津波
は押し寄せ線路も何もかも押し流して
いったのです.下の写真,トンネル手
前の線路敷きが根こそぎ破壊されて
いるのをおわかりいただけますでしょう
か?山肌の樹木がない部分は,津波
のあとに枯れてしまった杉の木の跡だ
そうです.国道沿いには建物の基礎だ
けが残っていたり,地盤沈下で浸水した
まま,一見沼のようで実は宅地だった,という箇所がそれはもう数えきれないくらい.
志津川の鉄骨の骨組みだけの防災庁舎,皆さんもご覧になったことがあると思い
ますので,もう写真は載せません.ご存じのとおりのままでしたから.
何も変わっていなかったその防災庁舎は取り壊されることが決まったのだそうです.
さて,志津川をあとにしてバスは北上,気仙沼
を目指します.震災当日の夜9時のニュースで
大火災の映像が自衛隊のヘリからもたらされ,
名取川を遡上する大津波に負けず劣らず絶句
させられた,あの気仙沼へ・・・
気仙沼支部の土地家屋調査士さんがマイクを
握り,ご自身が国道45号線を走行中,大津波
に寸でのところで巻き込まれそうになった地点
をお話になったり,建物滅失調査をご担当になった物件も案内くださりました.
海に浮かんでいる?かのように一見するとみえ
なくもない建物,地盤沈下で周りを海に取り囲
まれた津波に大半の部分を「破壊された」ホテ
ルだった建物だそうです!遊技場などの建物
もかつてはあった,このホテル.取り壊し工事
にも着手できない状態です.周りは海です.
重機も近づけません.
そして皆さん,建物ばかりに気をとられてばか
りもおられません!海に沈んだ「土地」の取り扱いは?
海になったのではありません!
大阪の臨海部も必ずこういった光景が
生じます!
この頁での最後の写真といたしましょう.
「ラビット・トランジット!?」の頁で気仙沼線の
不通区間の一部が線路を引き剥がされ,
バス専用道として再整備されたことに,僕
個人がかなり感情的になったことをご記憶の方もいらっしゃるかと.
その現場が上の写真です.
気仙沼支部の調査士さんが経営されているコンビニの裏手が,偶然その
線路敷だったので,僕は真っ先に駆けつけました!
踏切の面影は十分に残っています.ここもかつては線路が敷かれていた.
そして,一刻も早く線路を敷設し,再度全国の線路と繋ぐことの大切さを
訴えてきました.
でも,これが現実です.
皆さんも是非,想像してみてください.ご自宅の近くを走る線路が津波で
流された,その後,線路ではなくアスファルト敷となりその上をバスが走る.
鉄道が,再び地域の足となる見込みはないかも・・・,と宣告されたら.
あなたなら,どうお感じになりますか?
※次頁へ続きます...
ナイフエッジよりも鋭く!!
いったい何から記せばいいのでしょうか?
14日金曜日の11時過ぎ,仙台空港に無事着陸.
太平洋から旋回し,滑走路の衝撃を感じたとき,
僕は大津波で自動車も飛行機もヘリも全て流され
ていたあの映像を真っ先に思い出しながら,その
滑走路に着陸したことが「不思議」な感覚でした.
「東日本大震災報告会」
全国の有志の土地家屋調査士が集いました.
14日金曜日は左記のバスツアーで被災地を視察
にまわったのです.大阪からは僕一人が参加して
いました.
写真は全部で239枚撮影しました.
その全てをこのBLOGに掲載すること
はしませんが,最初の視察地「折立」
という山手地区の道路の写真です.
地震前は直線の道路だったそうです.
沢や谷を埋めて造成された住宅地.
あちこちで土地の区画が変形していま
した.崩れた土台の上に立つ家にお住
まいのところもありましたし,この地区
の折立小学校は閉校されてもいました.

次に海沿いの住宅地蒲生地区を視察.
津波に破壊され,取壊され,現在は建
物の基礎と雑草が荒涼と広がっていま
す.写真に見える一本松(元は一本松
ではない)の向こうは「海」だそうです.
僕の地元も海から近く,海抜は0メートル
を下回っています.この光景は,とても
じゃないですが「他人事」とは思えません.
この直後に,近くのビール工場に見学に行きました.
無論,津波災害に遭った工場です.
建物には津波の浸水位置のプレートが何ヶ所も貼られていたのです.
僕はここでも,とてもじゃないですが,ビール工場の見学には集中できま
せんでした.試飲コーナーでも,もちろんアルコールはとっていませんが,
楽しい気持ちにはなれませんでした.
ナイフのエッジよりも鋭い「何か」に深く心を抉られていたからです.
翌15日土曜日.仙台国際センター大
ホールで,報告会が行なわれました.
全国からおよそ400名の土地家屋調査士
が集結し,報告に神経を集中させました.
当たり前ですが,津波や原子力災害で調
査士業務に多大な支障をきたした体験談
を聴くにつけ,動悸が高鳴りだしました!
福島は復旧の緒にもついていない.
展示で防護服の実物を目の当たりにし,
一気に緊張が走りました.
テレビの画面越しではない,生の被災者の
声を胸に刻んでいたその時!
福島県を震源とする地震が発生!大きな
ホールがみしみし音を立てたのです!
臨場感はますますその生々しさを増します.
「震災はまだ全然終わってなどいない」
ひとりの土地家屋調査士として,ひとりの日本国民として,何を考え,
そしてどう行動すればよいのか?
まずは大阪にいる数多くの仲間や友人たちに,僕が被災地で感じたことを
伝えて,一人でも多くの人に考えるキッカケを提供する義務が僕にはある,
そう強く心に刻みました.
東日本の被災地の「これから」のことを,
大阪が「近い将来」被災したときのことを,
そして,同じ日本国民として,いま何を考え行動すべきか!ということを.
14日金曜日の11時過ぎ,仙台空港に無事着陸.
太平洋から旋回し,滑走路の衝撃を感じたとき,
僕は大津波で自動車も飛行機もヘリも全て流され
ていたあの映像を真っ先に思い出しながら,その
滑走路に着陸したことが「不思議」な感覚でした.
「東日本大震災報告会」
全国の有志の土地家屋調査士が集いました.
14日金曜日は左記のバスツアーで被災地を視察
にまわったのです.大阪からは僕一人が参加して
いました.
その全てをこのBLOGに掲載すること
はしませんが,最初の視察地「折立」
という山手地区の道路の写真です.
地震前は直線の道路だったそうです.
沢や谷を埋めて造成された住宅地.
あちこちで土地の区画が変形していま
した.崩れた土台の上に立つ家にお住
まいのところもありましたし,この地区
の折立小学校は閉校されてもいました.
次に海沿いの住宅地蒲生地区を視察.
津波に破壊され,取壊され,現在は建
物の基礎と雑草が荒涼と広がっていま
す.写真に見える一本松(元は一本松
ではない)の向こうは「海」だそうです.
僕の地元も海から近く,海抜は0メートル
を下回っています.この光景は,とても
じゃないですが「他人事」とは思えません.
この直後に,近くのビール工場に見学に行きました.
無論,津波災害に遭った工場です.
建物には津波の浸水位置のプレートが何ヶ所も貼られていたのです.
僕はここでも,とてもじゃないですが,ビール工場の見学には集中できま
せんでした.試飲コーナーでも,もちろんアルコールはとっていませんが,
楽しい気持ちにはなれませんでした.
ナイフのエッジよりも鋭い「何か」に深く心を抉られていたからです.
翌15日土曜日.仙台国際センター大
ホールで,報告会が行なわれました.
全国からおよそ400名の土地家屋調査士
が集結し,報告に神経を集中させました.
当たり前ですが,津波や原子力災害で調
査士業務に多大な支障をきたした体験談
を聴くにつけ,動悸が高鳴りだしました!
福島は復旧の緒にもついていない.
一気に緊張が走りました.
テレビの画面越しではない,生の被災者の
声を胸に刻んでいたその時!
福島県を震源とする地震が発生!大きな
ホールがみしみし音を立てたのです!
臨場感はますますその生々しさを増します.
「震災はまだ全然終わってなどいない」
ひとりの土地家屋調査士として,ひとりの日本国民として,何を考え,
そしてどう行動すればよいのか?
まずは大阪にいる数多くの仲間や友人たちに,僕が被災地で感じたことを
伝えて,一人でも多くの人に考えるキッカケを提供する義務が僕にはある,
そう強く心に刻みました.
東日本の被災地の「これから」のことを,
大阪が「近い将来」被災したときのことを,
そして,同じ日本国民として,いま何を考え行動すべきか!ということを.
2012年12月9日日曜日
日本語訳は難しい(-_-;)!!
![]() |
12月3日のシンポジウム「ハーグ条約の批准と友好的解決」 |
と申しますよりは,僕の恥をおさらし
いたします(^_^;;)
上段の写真のシンポジウム.
「ハーグ条約」につきましては,興味
のある方は個別にお調べ下さいませ.
僕は全くの専門外ですので,「よぅ説明
できません」 .ではなぜこのシンポに
出席したのか?と申しますと「ロルプレ
はいつも真っ白」の頁で触れました
「Mediation」のレビン小林先生がパネ
リストとして加わる,との情報を得ていたからでした.
さて,条約のシンポだけに英語が飛び交うことひっきりなし(>_<)!!
傍らに英和辞書がないとついていけません(-_-;).
いや,辞書があってもついていけない...
で,この「Mediation」という単語.辞書には不可算名詞・「仲裁、調停」と
記されている,とロルプレの頁でも述べました.
しかし,僕は「教科書が山積みだー!!」の頁で取り上げましたコミック,
「家栽の人」のなかで描かれる離婚調停等
の「調停」とは「どうも趣きが違うなー(?_?)」
と感じていたらやっぱり!シンポで写真左
端のパネリストの先生が「日本の民事調停
はMediationではない,Conciliationであ
る」とおっしゃいました.
「?・?・?...(?_?)」知らない単語がここでも!
まぁ,このシンポで僕が学べたのはこの2つ
の英単語の存在,くらいです.事実,二段目
のシンポ中のメモの書き出しは(殴り書きで
読みづらくて申し訳ありませんm(_ _)m),
この2つの単語です.ちなみに僕の辞書に
は不可算名詞・「①なだめ,懐柔②(特に労使間争議の)調停」とあります.

さて,話は先々週にさかのぼります.
11月30日の金曜日に受けた研修の
講師に電子メールでお礼かたがた質
問をお送りしますと,「研究は自分で
するもの.参考までに韓国の論文を
添付する」旨の叱責・激励を受けました.
「うぅー!」僕が唸り声をあげたのは,
申すまでもありません.
ただ今,鋭意(?)和訳中ですが,これがなかなか「大変」です!
まず,生まれて此の方,英字の研究論文などに対峙した経験が僕にはない
のです!そして"Key Words"の突端,3D Cadastare の単語がいきなり
僕の辞書に「載ってしません!!」
もちろん,辞書にはなくともこの英単語の「意味」は存じております.
「あっ」とでも,皆さんはこの単語をご存じなくても何の問題もありません!
あくまで,僕は知っていて当たり前,という単語に過ぎない,
という意味ですので,誤解のありませんようお願いいたしますm(_ _)m
さて,英訳先行きの難航さがいまの僕の「頭痛の種」ですが,こういった
BLOGに公開してしまった以上,絶対に英訳を完遂しなくてはなりません
ね・・・.「公開」したことを「後悔」しています・・・(>_<)!!
今朝は大阪でも初雪が舞った,という Radio News がございました!
どんどん寒さが増していく時季です!
皆さま,風邪などひかれませんよう,温かくしてお過ごしくださいませ,ネ!
追伸 ちなみに辞書は旺文社サンライズ英和辞典(1988)です.
2012年12月6日木曜日
歴史の舞台裏に立つ!!
![]() |
14:00~15:45 15分超過しました |
![]() |
夕陽を浴びる難波宮大極殿跡 |
久しぶりに「歴史ネタ」とまいりましょう.
今日は月に一度の「歴史セミナー」.
昨年,4カ月ほどエルおおさか(大阪
府立労働センター)に通う機会の折,
エルおおさか主催の歴史セミナーの
存在を知りました.一期半年,今年度
後期6回シリーズの3回目のテーマは
「大化改新」と難波長柄豊碕宮.講
師は元帝塚山学院大学教授のN氏.僕は初めてお目にかかる先生でした.
結論から申しましょう!
メチャメチャ面白い講義でした!
歴史に興味のない皆さん!「大化改新」と目にされて思い浮かべるのは
恐らく、「蘇我入鹿」の首がはねられ宙を舞い,玉座の皇極女帝がその
場を去る,後世江戸時代に描かれた絵巻ではございませんでしょうか?
「歴史に学ぶ、歴史を学ぶ」の頁で述べましたとおり僕は,30代初めに
出会った「聖徳太子は蘇我入鹿である」という文庫本を契機として,飛鳥
~奈良時代の歴史の真相究明に在野で挑む
関裕二氏の著作に,どんどんハマっていったの
でした.(51冊読破,17冊積読あり・汗)
大変乱暴ですが,大化改新前後の歴史につき,
僕なりに関氏の歴史観を咀嚼し以下に要約い
たします.不完全な部分は多分にありますが,
どうか趣味者の独り言レベルとご理解を賜った
上でお付き合いの程を・・・.
まず,飛鳥時代には蘇我系の皇族と反蘇我の
皇族が覇権を争っていました.有名な蘇我入鹿
暗殺事件(乙巳(いつし)の変)は,反蘇我の皇族,
皆さまご存じ,古代史の英雄として名高い中大兄皇子とその臣下中臣(のち
の藤原)鎌足が遂行したクーデター.蘇我氏は決して専横を極めた豪族
などではなかった.暗殺事件の後,入鹿と深い関係にあった皇極女帝は
皇位を弟の孝徳天皇に譲位し,孝徳天皇は蘇我氏が長年企図していた
難波宮遷都を挙行,大阪に都を構えたのです.でないと,クーデターの後
天然の要害,山々に囲まれた大和盆地から海に面した難波の地に都を
遷す理由が説明できない,つまり,聖徳太子(蘇我系)が行なおうとした
遣隋使を派遣するに便利な難波津の地に都を構え外交を進めようとして
いた.しかし,反蘇我の中大兄皇子は,孝徳大王の皇太子ながら,蘇我
系の大王(オオキミ)孝徳に付き従うはずもなく,難波長柄豊碕宮が完成
した後,孝徳の妃を引き連れて飛鳥に戻ってしまう.その後,蘇我系の
孝徳は難波長柄豊碕宮で非業の孤独な憤死を遂げる.
でも蘇我系の反感が渦巻く飛鳥で中大兄は天皇の位に就けず,大津京
で即位する・・・.
大化改新とは,蘇我氏が長年企図した飛鳥から難波への遷都と政治改
革を指すのであって,蘇我の意志を継いだ孝徳が結局は反蘇我の中大
兄+鎌足に「してやられ」,政権は反蘇我系に交替する・・・
蘇我氏が専横を極めたのではなく,飛鳥時代の政治改革を進めていた
一族であった,とすれば,蘇我入鹿暗殺は明らかにクーデターであり,
1370年後の現代の私たちが「蘇我氏=悪」の図式が刷り込まれている
のは「日本書紀」の存在が大きく影響している.日本書紀が完成した奈
良時代(720年)の政治の実権を握っていたのは,藤原不比等=中臣(藤
原)鎌足の息子・・・
日本書紀が「藤原氏のための」歴史書であり,藤原氏が正義であるため
には「蘇我氏=悪」の図式を捏造する必要に迫られた.
平城京は奈良時代に藤原氏によって没落させられた数多の豪族の墓標
であり,藤原氏にとっての怨霊渦巻く「南都(平城京)」を打ち捨てて,
天智天皇の末裔「桓武天皇」が784年に長岡京に,794年に平安京に!
平安時代は,藤原氏のみが栄える,藤原氏だけが「平安」な時代で,
藤原氏以外の氏族にとっては「暗黒時代」だったのです.
ですから,僕は平安皇族の反主流(藤原)派,「在原業平」と「伊勢物語」
を好んでいるのであって,六歌仙も反主流派の6人の歌人の怨霊を恐れて
後世に伝えられた「美称」に過ぎない・・・
もっともっと,お伝えしたいことは「山」ホドある,のですが・・・
もうこのあたりにしておきましょう.(キリがない...(^_^;))
長々とお読みくださりありがとうございました.
もし,ご興味のある方は,是非日本の古代史について語り合いませんか?
「鉄道+古代史」そうそういないか・・・そんな奇特な方は・・・
2012年12月1日土曜日
「不平」の多い都会人
![]() |
昭和61年中学二年生の8月号です。 |
「えー!もぅそんなん!?」
悲鳴に近い声をあげた
方々も多いのではないで
しょうか?
(実は)僕も紛れもなくそ
の一人なのですが,既に
声をあげる気力すら喪失
している,と表現した方が
むしろ,「正確」かもしれま
せんね・・・(^_^;)
さて,前頁に引き続きまし
て鉄道愛好者専用雑誌に
ついての話題で恐縮です.
さて×2,この雑誌には「タブレット」という読者投稿欄があります.
その投稿欄の中でも特に「選ばれし者」の色彩の濃い「読者論壇」
という論文のコーナーがあります.
当時14歳の少年だった僕が,「大阪」という都会と認識されている
エリアで鉄道ファンのアタマに強烈なひとつの投稿がありました.
26年経過した現在でも,僕の鉄道愛好家としての「スタンス」と
して,心の片隅に常時置いている原点となる論文です.
この論文の作者は,僕とわずか2歳しか違わない,当時16歳の
富山県にお住まいの少年だったのでした.
少し長くなりますが,今日は自らの手で転載させていただきます.
もし,お読みくださった皆さまは,如何お感じになるでしょうか?
都会人の鉄道意識について
近ごろの本欄を見ていると,じつに自分よがりな人が多い.しかも
彼らのほとんどが大都市在住だ.
私の言う自分よがりとは,サービスが悪いだの車両がどうのこうの
といっていることである.例えば5月号の「203系の改善を望む」など
はどう考えても,ぜいたくな望みであるように思える.私のような田舎
のものは車両の良し悪しに関してさほど文句は言わない.運転本数
に関しても同様.これは鉄道輸送に関してにぶいのではなく,鉄道を
生活の中心として動いており,鉄道を中心にサイクルされているので
ある.例えば,ちょっととなり町へ行くにしても1時間も2時間も列車を
待たなければならず,大変なことになる.
一方,大都市圏内では電車がひっきりなしに発車し列車の種類も普
通や快速など多様なバリエーションがあり,待たずに乗れる.地方の
ディーゼルカーにくらべれば到達時間だってグッと短い.おそらく都会
の人はこれが鉄道だと思っているに違いない.おおげさだが,大都市
の鉄道の姿が本来の鉄道の姿であると思っている人,あるいは身ぢ
かな鉄道の利便さを忘れている人がかなりいると思う.
私のような田舎者から見れば大都市の鉄道はまさに極楽か天国の
ように思える.あれほどの運転本数,速くてディーゼルカーよりはるか
に乗り心地のよい電車の世界はぜったいに極楽だ.しかも地方にくら
べて大都市圏の国鉄運賃は安い.これほどの,申し分のないような鉄
道をなぜそんなにもけなすのか.これ以上のものをまだ求めたいのか.
私は鉄道が好きだ.本誌に投稿される方もそうだと思う.ならば,
なぜ少しくらいガマンをしないのか.国鉄が大赤字を背負っていても
大都市圏にはあれほどたくさんの列車を走らせてくれているのに,ま
だ不服があるというのか.それではあまりに自分よがり・・・
大都市のみなさん,あれほど便利で快適な鉄道を見直していただき
たい.不便で乗り心地が悪く,運賃の高いローカル線を頭の中に想像
すればわかることと思うのです.
以上です.
※ちなみに,論文中の「203系」と呼ばれる電車は,昭和57年に登場
した,東京の常磐線と営団地下鉄(現:東京メトロ)千代田線とを乗り
入れ直通運転するために設計された電車でした.(昨年9月に引退)
![]() |
カラーブックス702「国鉄の電車’86」S61.3.31発行(保育社) |
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