14日金曜日の11時過ぎ,仙台空港に無事着陸.
太平洋から旋回し,滑走路の衝撃を感じたとき,
僕は大津波で自動車も飛行機もヘリも全て流され
ていたあの映像を真っ先に思い出しながら,その
滑走路に着陸したことが「不思議」な感覚でした.
「東日本大震災報告会」
全国の有志の土地家屋調査士が集いました.
14日金曜日は左記のバスツアーで被災地を視察
にまわったのです.大阪からは僕一人が参加して
いました.
その全てをこのBLOGに掲載すること
はしませんが,最初の視察地「折立」
という山手地区の道路の写真です.
地震前は直線の道路だったそうです.
沢や谷を埋めて造成された住宅地.
あちこちで土地の区画が変形していま
した.崩れた土台の上に立つ家にお住
まいのところもありましたし,この地区
の折立小学校は閉校されてもいました.
次に海沿いの住宅地蒲生地区を視察.
津波に破壊され,取壊され,現在は建
物の基礎と雑草が荒涼と広がっていま
す.写真に見える一本松(元は一本松
ではない)の向こうは「海」だそうです.
僕の地元も海から近く,海抜は0メートル
を下回っています.この光景は,とても
じゃないですが「他人事」とは思えません.
この直後に,近くのビール工場に見学に行きました.
無論,津波災害に遭った工場です.
建物には津波の浸水位置のプレートが何ヶ所も貼られていたのです.
僕はここでも,とてもじゃないですが,ビール工場の見学には集中できま
せんでした.試飲コーナーでも,もちろんアルコールはとっていませんが,
楽しい気持ちにはなれませんでした.
ナイフのエッジよりも鋭い「何か」に深く心を抉られていたからです.
翌15日土曜日.仙台国際センター大
ホールで,報告会が行なわれました.
全国からおよそ400名の土地家屋調査士
が集結し,報告に神経を集中させました.
当たり前ですが,津波や原子力災害で調
査士業務に多大な支障をきたした体験談
を聴くにつけ,動悸が高鳴りだしました!
福島は復旧の緒にもついていない.
一気に緊張が走りました.
テレビの画面越しではない,生の被災者の
声を胸に刻んでいたその時!
福島県を震源とする地震が発生!大きな
ホールがみしみし音を立てたのです!
臨場感はますますその生々しさを増します.
「震災はまだ全然終わってなどいない」
ひとりの土地家屋調査士として,ひとりの日本国民として,何を考え,
そしてどう行動すればよいのか?
まずは大阪にいる数多くの仲間や友人たちに,僕が被災地で感じたことを
伝えて,一人でも多くの人に考えるキッカケを提供する義務が僕にはある,
そう強く心に刻みました.
東日本の被災地の「これから」のことを,
大阪が「近い将来」被災したときのことを,
そして,同じ日本国民として,いま何を考え行動すべきか!ということを.
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