2012年12月17日月曜日

ゼロからのスタート


気仙沼はトイレ休憩だけで通過しました.
港に停泊している漁船も,最近増えてきたばかりだそうです.
陸の孤島」と気仙沼の調査士さんがおっしゃっていました.
海と共に生きてきた,海に恨みはない」とも.
陸に乗り上げた巨大な船の真横も通り抜けました.そして,
宮城・岩手県境を越え,いよいよ岩手県陸前高田市にバス
は進んで行ったのです.

仮設の橋を渡りました.
左の写真は市街地です.
川や沼ではありません!
ここでも地盤沈下(86cm)
水がひいていないのです!
土地(所有権)があり,建物
が立ち並んでいたところだ
そうです!信じられますか?
右奥に見えるのは津波で破
壊された市役所・市民会館,ショッピングセンターです.
僕が陸前高田市役所に
どうしても足を運んでおきた
かったのには理由があります.
カ・ン電と送り火の怪」の頁
で京都を引き合いに出し,関
西人の東日本大震災に対する
意識を痛烈に皮肉りました.
(京都の方々,やり玉に挙げて
ごめんなさいm(_ _)m)
皮肉った以上は,自分の目で陸前高田市を見ておく必要が「絶対に」
ある!そう考えたからです.
語り部さんのお話を伺いながら
市街地を進みます.バスガイド
さんは「最近ようやく被災状況
を話せるようになったばかり,
『語り部』さんのように震災を
話せることはなかなかできる
ものではない」とお聞きしていた
ものですから.
数々のお話の中でも,特に印象に残ったのは,瓦礫の撤去ばかりに
税金を注ぎ込むくらいなら,瓦礫はそのままでもいいから,災害復興
住宅(仮設住宅ではありません)を先に作るべきだ!
選挙なんかやってる場合か!
のひと言でした.そうです!昨日は衆議院議員総選挙の投票日でした.
あと・・・ドキュメントでみた,市役所職員や市民が市役所の屋上に避難
したか,道路向かいの避難指定場所,市民会館に逃げたかで非情にも
生死を分けた,その現場にどうしても,どうしても手を合わせたかったか
ら!強い寒風が吹きすさぶ中,僕は両方の祭壇で合掌したのです.
それでも・・・震災当日はもっと気温が下がっていた,とも伺いました.
もちろん,送り火で焚かれることなく仏像として送り返されてきた薪に
ついても感想を伺いました.感情は表に出されていなかったでしょう!
同じ日本人なのにねェ」とだけ呟くようにおっしゃいました.
救われる話題もひとつ.
3枚目の写真は,川沿いに立つ中学校校舎です.当然3階まで津波が
突き抜けていきました.でもこの学校からは1名の犠牲者もでなかった,
とのことでした.普段の避難訓練が完全に活かされたからだそうです.

時間は午後3時を回りました.大船渡市の視察はやむなく中止とな
り,バスは気仙沼経由で岩手県の内陸部,一関市に向かいました.
東北の日没は大阪よりは30分は早く,既に暗闇が支配を始めた頃,
道の駅で地元の調査士の奥様からおまんじゅうの差し入れがあり,
大変ありがたく,美味しく頂戴いたしました.
バスの隣の座席は,この度の報告会の実行委員の一人である岩手
県会の調査士さんと一緒になり,岩手・大阪の調査士業務の状況な
どの情報交換もいたしました.

大阪は国土調査が全く進んでいません.
津波で更地になれば,土地の問題は深刻を極めるでしょう.
たぶん解決はしないかも・・・
でも,この度の報告会・被災地視察のバスツアーに参加し,現場を
みること以上の意識付けの方法はない!と痛切に感じました.
同じ日本国内の出来事です
先月末,ようやく大阪でも岩手県の瓦礫の試験焼却が始まりました.
瓦礫、ガレキといいますが,瓦礫はガレキ等では決してなく,被災者
の「破壊された」財産です.絶対に間違えてはいけません.
そして,被災地の現実を決して忘れてはいけません!
ニュースに流れないのは,変化がないから.決して被災が収まった
わけではありません.

僕は非力ながらも,何とか行動したい!と考えてばかりです.
みなさん!
少しでもいいから,被災地のために行動しましょうよ!

3つの投稿に分けてこの度の報告会について記述いたしました.
まだまだ全然お伝えしきれていないことが山積みです.
それでも,辛抱強くお読みくださった皆さまには心の底から感謝申し
上げます.
そして,この報告会を実行に移された岩手・宮城・福島の土地家屋
調査士の皆さまに,この場をお借りし心からお礼申し上げます.

ありがとうございました.


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