2012年12月17日月曜日

失われた線路も目撃

三日目16日の日曜日.
前日の雨天から一転,晴天に恵まれました!
一日目とバスガイドさんが同じバスの最前
列に席をとり,僕はどうしても足を運びたかっ
た「陸前高田市」の視察が含まれるCコースの
バスツアーがスタートしました.
三陸自動車道を北上し,まずは南三陸町を目
指したのです.道中のバスガイドさんの体験談,
一日目もそうだったのですが努めて明るく,でも
時折目に涙を浮かべながら,またときには言葉
につまりながらのガイドに,胸を打たれてばかり.
そして,宮城県の土地家屋調査士さんの体験談
にも真剣に耳を傾けながら,僕は流れる車窓に
ファインダーを向けシャッターを切っていました.
国道45号線沿いに走るJR気仙沼線の線路敷が
ようやく視界に入った地点では,すでに運休区間
となっていたのです.「乗りつぶし
ノート」の表紙が偶然三陸南部を
表しています.拡大してご覧いた
だければ,南側気仙沼線の柳津
駅から北側は,すべて運休区間と
なっているのがおわかりになるか
と存じます.
そしてバスは山を越え,南三陸町に
入っていきました・・・
結構内陸部です,でもここまで大津波
は押し寄せ線路も何もかも押し流して
いったのです.下の写真,トンネル手
前の線路敷きが根こそぎ破壊されて
いるのをおわかりいただけますでしょう
か?山肌の樹木がない部分は,津波
のあとに枯れてしまった杉の木の跡だ
そうです.国道沿いには建物の基礎だ
けが残っていたり,地盤沈下で浸水した
まま,一見沼のようで実は宅地だった,という箇所がそれはもう数えきれないくらい.
志津川の鉄骨の骨組みだけの防災庁舎,皆さんもご覧になったことがあると思い
ますので,もう写真は載せません.ご存じのとおりのままでしたから.
何も変わっていなかったその防災庁舎は取り壊されることが決まったのだそうです.

さて,志津川をあとにしてバスは北上,気仙沼
を目指します.震災当日の夜9時のニュースで
大火災の映像が自衛隊のヘリからもたらされ,
名取川を遡上する大津波に負けず劣らず絶句
させられた,あの気仙沼へ・・・
気仙沼支部の土地家屋調査士さんがマイクを
握り,ご自身が国道45号線を走行中,大津波
に寸でのところで巻き込まれそうになった地点
をお話になったり,建物滅失調査をご担当になった物件も案内くださりました.
真ん中の写真をよぉーくご覧になってください.
海に浮かんでいる?かのように一見するとみえ
なくもない建物,地盤沈下で周りを海に取り囲
まれた津波に大半の部分を「破壊された」ホテ
ルだった建物だそうです!遊技場などの建物
もかつてはあった,このホテル.取り壊し工事
にも着手できない状態です.周りは海です.
重機も近づけません.
そして皆さん,建物ばかりに気をとられてばか
りもおられません!海に沈んだ「土地」の取り扱いは?
不動産です!私有財産です!
海になったのではありません!
大阪の臨海部も必ずこういった光景が
生じます!

この頁での最後の写真といたしましょう.
ラビット・トランジット!?」の頁で気仙沼線の
不通区間の一部が線路を引き剥がされ,
バス専用道として再整備されたことに,僕
個人がかなり感情的になったことをご記憶の方もいらっしゃるかと.
その現場が上の写真です.
気仙沼支部の調査士さんが経営されているコンビニの裏手が,偶然その
線路敷だったので,僕は真っ先に駆けつけました!
踏切の面影は十分に残っています.ここもかつては線路が敷かれていた.
そして,一刻も早く線路を敷設し,再度全国の線路と繋ぐことの大切さを
訴えてきました.
でも,これが現実です
皆さんも是非,想像してみてください.ご自宅の近くを走る線路が津波で
流された,その後,線路ではなくアスファルト敷となりその上をバスが走る.
鉄道が,再び地域の足となる見込みはないかも・・・,と宣告されたら.
あなたなら,どうお感じになりますか?

※次頁へ続きます...

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