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夕陽を浴びる難波宮大極殿跡 |
久しぶりに「歴史ネタ」とまいりましょう.
今日は月に一度の「歴史セミナー」.
昨年,4カ月ほどエルおおさか(大阪
府立労働センター)に通う機会の折,
エルおおさか主催の歴史セミナーの
存在を知りました.一期半年,今年度
後期6回シリーズの3回目のテーマは
「大化改新」と難波長柄豊碕宮.講
師は元帝塚山学院大学教授のN氏.僕は初めてお目にかかる先生でした.
結論から申しましょう!
メチャメチャ面白い講義でした!
歴史に興味のない皆さん!「大化改新」と目にされて思い浮かべるのは
恐らく、「蘇我入鹿」の首がはねられ宙を舞い,玉座の皇極女帝がその
場を去る,後世江戸時代に描かれた絵巻ではございませんでしょうか?
「歴史に学ぶ、歴史を学ぶ」の頁で述べましたとおり僕は,30代初めに
出会った「聖徳太子は蘇我入鹿である」という文庫本を契機として,飛鳥
~奈良時代の歴史の真相究明に在野で挑む
関裕二氏の著作に,どんどんハマっていったの
でした.(51冊読破,17冊積読あり・汗)
大変乱暴ですが,大化改新前後の歴史につき,
僕なりに関氏の歴史観を咀嚼し以下に要約い
たします.不完全な部分は多分にありますが,
どうか趣味者の独り言レベルとご理解を賜った
上でお付き合いの程を・・・.
まず,飛鳥時代には蘇我系の皇族と反蘇我の
皇族が覇権を争っていました.有名な蘇我入鹿
暗殺事件(乙巳(いつし)の変)は,反蘇我の皇族,
皆さまご存じ,古代史の英雄として名高い中大兄皇子とその臣下中臣(のち
の藤原)鎌足が遂行したクーデター.蘇我氏は決して専横を極めた豪族
などではなかった.暗殺事件の後,入鹿と深い関係にあった皇極女帝は
皇位を弟の孝徳天皇に譲位し,孝徳天皇は蘇我氏が長年企図していた
難波宮遷都を挙行,大阪に都を構えたのです.でないと,クーデターの後
天然の要害,山々に囲まれた大和盆地から海に面した難波の地に都を
遷す理由が説明できない,つまり,聖徳太子(蘇我系)が行なおうとした
遣隋使を派遣するに便利な難波津の地に都を構え外交を進めようとして
いた.しかし,反蘇我の中大兄皇子は,孝徳大王の皇太子ながら,蘇我
系の大王(オオキミ)孝徳に付き従うはずもなく,難波長柄豊碕宮が完成
した後,孝徳の妃を引き連れて飛鳥に戻ってしまう.その後,蘇我系の
孝徳は難波長柄豊碕宮で非業の孤独な憤死を遂げる.
でも蘇我系の反感が渦巻く飛鳥で中大兄は天皇の位に就けず,大津京
で即位する・・・.
大化改新とは,蘇我氏が長年企図した飛鳥から難波への遷都と政治改
革を指すのであって,蘇我の意志を継いだ孝徳が結局は反蘇我の中大
兄+鎌足に「してやられ」,政権は反蘇我系に交替する・・・
蘇我氏が専横を極めたのではなく,飛鳥時代の政治改革を進めていた
一族であった,とすれば,蘇我入鹿暗殺は明らかにクーデターであり,
1370年後の現代の私たちが「蘇我氏=悪」の図式が刷り込まれている
のは「日本書紀」の存在が大きく影響している.日本書紀が完成した奈
良時代(720年)の政治の実権を握っていたのは,藤原不比等=中臣(藤
原)鎌足の息子・・・
日本書紀が「藤原氏のための」歴史書であり,藤原氏が正義であるため
には「蘇我氏=悪」の図式を捏造する必要に迫られた.
平城京は奈良時代に藤原氏によって没落させられた数多の豪族の墓標
であり,藤原氏にとっての怨霊渦巻く「南都(平城京)」を打ち捨てて,
天智天皇の末裔「桓武天皇」が784年に長岡京に,794年に平安京に!
平安時代は,藤原氏のみが栄える,藤原氏だけが「平安」な時代で,
藤原氏以外の氏族にとっては「暗黒時代」だったのです.
ですから,僕は平安皇族の反主流(藤原)派,「在原業平」と「伊勢物語」
を好んでいるのであって,六歌仙も反主流派の6人の歌人の怨霊を恐れて
後世に伝えられた「美称」に過ぎない・・・
もっともっと,お伝えしたいことは「山」ホドある,のですが・・・
もうこのあたりにしておきましょう.(キリがない...(^_^;))
長々とお読みくださりありがとうございました.
もし,ご興味のある方は,是非日本の古代史について語り合いませんか?
「鉄道+古代史」そうそういないか・・・そんな奇特な方は・・・
2 件のコメント:
鉄道も古代史も疎い鈴木です。
でもこの話はとても興味深いものですね。
歴史は常に勝者の書いた歴史ですから、この話は十分説得力が有りそうです。
ご紹介ありがとうございます。
一度も読んだ事の無い関裕二氏の本も読んでみたいと思います。
鈴木 修様
コメントありがとうございます!
小BLOGにお寄せ頂いた初めてのコメントです!
私は、地道にコツコツ研究を続ける実務家や学者の方々に、いつも頭が下がります。
関氏は学者ではない在野の作家です。でも、自らの足と手で一つ一つ論証を積み上げ学者が唱える通説に挑んでおられます。
一方、この歴史セミナーの講師をされるのは主に学者の方々です。受講してみて学者の先生方も、本当に地道に研究を積み上げておられることを実感するばかりです。
歴史の真実はひとつです。
でも、光の当て方は様々で真実が放つ光の反射もまた様々である、と教わるばかりです。
僕にはまだまだたくさん知らない世界があり、学ぶべきことがたくさんある。
不惑四十、なんて僕にはあり得ない!
最近、そのことばかり考えております。
初コメント、本当にありがとうございました。
m(_ _)m
Osaka-Loop-Line
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