2012年7月3日火曜日

桃谷で20代に別れを!

新今宮を語ると...」の頁でも,少し触れましたが僕は20代最後の2年間,
桃谷駅から徒歩数分の事務所に勤めていました.


それまでの僕は,桃谷とは何の縁もゆかりもない人生でした.
しかし,桃谷で勤めた2年間があったからこそ,いまの自分があるのかも
知れない,と.


具体的な現場名はここに記すことはできませんが,線路敷の測量や広大
大学の敷地測量など,貴重な体験を積むことができたのです.ある日,
大学の現場に着くや否や,Radio Newsから,大教大付池田小学校の児童
殺傷事件の第一報を耳にしたことが印象に残っています.
また,牛乳食中毒事件が発生し,僕もよくわからないまま警察病院の診察
を受けました.


また,とある現場で測量器械(トータルステーションといいます)を据えている
最中に,鳥取県西部地震が発生し,器械の水平具合を示す気泡管の気泡
が大きく左右に振れていたことも,大変強く印象に残っています.


そして,7月~8月の暑い盛りに地面にコンクリートカッターで穴をあけて,
境界プレートを埋設する作業,ペットボトルのアイソトニックがどんどん空に
なっていき,帰宅すると毎晩当然のようにビールで喉を潤していました.
そんな,20代最後の夏,8月の第3日曜日の土地家屋調査士試験.
天のイタズラか,女神が微笑んだのか?,ともかく「奇跡的に」試験に合格
したのです.試験前の2カ月間,毎日現場・現場に出ていたのに・・・.


合格証書を和歌山地方法務局で受け取り,平成14年の年が明けました.
僕は,登記測量の実務経験をもっともっと積んでいきたい!
の一念で,ある日「事務所を辞めさせて下さい」と急に切り出したのです.
所長は激怒されていましたが,そこはまだ20代の若造のすることです.
思慮浅いことは確かでしたが,僕は桃谷の事務所を飛び出したのです.


事務所を去る日,所長の息子さんが,桃谷駅まで見送りに来てくれました.
自然と最後には握手を交わして,改札口で別れを告げました.

桃谷で勤めていたからこそ,結婚もでき,合格証書も手にできた.
10年経って,ようやく桃谷の2年間が「とても貴重な2年間だった」と,
考えられるようになりました.


合格後10年を経て,昨年末に大阪土地家屋調査士会に入会しました.
何度か研修で,桃谷の所長さんとすれ違う場面がありましたが,入会後
7か月近く経た今日,未だに,面と向かって挨拶をしていません.


今度,顔を合わせたときは,
その節はお世話になり,ありがとうございました!
と,心から頭を下げたいと思います.



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