小学6年生のかすかな記憶です.寺田町ホドの強い思い出はありません.
たしかに,玉造に自社ビルを構えていた進学塾にもいっとき通っていました.
でも,あんまり肌に合わなかったですね.12歳の感性をもってしても,僕は
やれ、詰め込み、詰め込みの学習法に馴染めませんでした.
5年後の高校2年生.春休み・夏休み・冬休み限定の受験講座を受けました.
順番は忘れましたが,緑地公園のS台,江坂のY々木,中津のK合塾の3校
を試してみたのです.
S台は一日でイヤになりました.教室の雰囲気は,殺気立っていて,椅子も
学校の食堂の丸椅子,腰を上げればバネで机の下に収納されるあの椅子
に詰め込み,余裕のなさに「こらアカン!」と二日目から通わなくなりました.
K合塾も,一週間でリタイアしました.なんかこう,僕の感性に合わない.
で,結局いちばん気に入ったのが江坂のY々木ゼミナールでした.
まず,建物が新しく,机もイスもキレイで,ゆとりを感じました.
講師陣も豊富でしたが,僕は古文のK先生の軽妙洒脱な語り口にすっかり
虜になりました.僕が古文が嫌いじゃなかった理由は,このK先生の存在
が「大」です!伊勢物語第9段「東下り」もK先生の講義で楽しく学べました.
高3の一年間は,結局Y々木ゼミナールに通うことにしました.
僕は「強制的」「圧迫式」学習法は生理的に受け付けません><!
自ら「学ぼう」「まぁ、マイペースで」ない勉強は「しない」我儘な奴なんです!
さて,大学に通い始めると,Yゼミの英語の講師と校内ですれ違い挨拶を
交わしたのです.英語の先生も僕の顔を覚えていたのはよかったのですが,
予備校の講師が本業なのか?大学の語学の講師が本業なのか?
いまから考えると,別にどっちでもいいのですが,どちらもずいぶんテキトー
な仕事なのかなー?と,考えたりもします.
僕たちの世代は,世間からいわゆる「団塊ジュニア」世代と呼ばれています.
現役時代はいろんな進学塾や,予備校が,そこかしこに林立していました.
大阪梅田行きの通学電車が十三を発車し,淀川橋梁への上り坂を駆け上
がる左手にも「大阪北予備校(通称:キタヨビ)」がありましたよね?
もう20年も経つと,世相はすっかり様変わりし,現在は「セレモニーホール」
に姿を変えています.
ここでも,諸行無常の響きを,「う~ん」と感じました.
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