2012年7月7日土曜日

森ノ宮で見た初日の出

毎年12月8日がやってきます.今年も例外ではありません.

12月8日,とお耳にされて真っ先に思い浮かべる事件は何でしょうか?

・ジョン=レノンが凶弾に倒れて今年で32年.
・真珠湾攻撃で日米太平洋戦争が開戦して71年.

以上は,ごく一般的に認識されている歴史的事実です.

では,僕の家族にとっては一家の大黒柱である父が脳梗塞を発症した
忘れられない日でもあるのです.
平成7年,既述のように1月に兵庫県南部地震で神戸中心部が壊滅し,
3月には地下鉄サリン事件が発生,多数の犠牲者・被害者を生み,オ
ウム真理教の教祖が逮捕・・・そして,直後の4月,世間がまだまだ騒然
としている中,僕は社会人デビューしたのです.


その年の12月,父は「検査入院」の名目で,森ノ宮の大阪府立成人病
センターに入院し,お世話になっていました.
8日朝,ナースセンターからの第一報の電話を僕が受けました.
「父が,精神的に不安定になっているので,すぐ家族に来てもらいたい」
旨の電話で,僕は母に言伝し,いつものように出勤したのですが・・・
偶然その日は朝から身体の調子が悪く,仕事もロクに手がつかなかった
ので,勤務先近くのT病院で診察を受け,食堂兼休憩室で横になり休んで
いるところを次長(副支店長にあたる方です)から,早退するよう指示され
僕はいつもより早い時間の電車で家路に就きました.

もちろん,父が入院している病室を訪ねました.そのとき父は眠っていて
傍らの母が,風邪で早退した僕にすぐに帰宅するよう促したので,僕は
父の本当の病態を知らないまま,8日は家に帰りました.

翌日,僕はベッドに縛られ暴れている父の姿を見て,愕然としました.
僕の名前を連呼しながら「ワシはどうなってるんや!」と怒りをぶちまけ
ながら暴れる父.僕は病棟の公衆電話から自宅の母に電話を架けて,
「お母さん...」,と受話器を握ったまま涙があふれて言葉に詰まりました.
母は気丈でした.「しっかりしなさい!大変なんはこれからなんやから!」
と嗚咽を漏らす僕に,檄を飛ばしたのでした.

その病室は,24時間完全看護,家族付き添い,カメラでナースセンター
に常時監視されている、という「特別室」だったのです.
平日は母と妹が交替で24時間付き添い,週末の2日金曜日の勤務後
から日曜日の夜までは,僕が48時間の付き添う生活が始まりました.
消灯後,一晩中あちらこちらの病室から鳴り響くナースコール,廊下を
頻繁に行き来する看護婦さんたち・・・僕は,病院で寝泊まりするのは,
物心がついてからは,恐らく初めてだったので,看護婦さんの激しい
重労働を目の当たりにし,心から尊敬の念を抱きました(現在に至る).

父の血管バイパス手術は年明けに決まり,あまりにも事件と騒動,環境
激変の平成7年の大晦日は,僕が父の付き添いをすることになりました.
ラジオからは「紅白歌合戦」のフィナーレの賑やかな音響が響いた直後,
急に「しーん」とゆく年くる年の中継が例年のように始りました.
その瞬間,父が急に騒ぎ出したのです!急に静かになり,不安になった
のでしょう.僕はナースコールを押し,看護婦さんの力をお借りし,なんと
か父を鎮めました.そう,付き添い中はほとんど眠れないのです.その
夜も眠れないまま平成8年の元旦を迎え,病室の窓越しに生駒山から
昇る初日の出を目にすることができました.
言葉が出ませんでした.父もその初日の出の様子をかすかに記憶して
いる,といいます.

平成3年,富士山のご来光を見た時も感動しましたが,
大学生だった4年間,毎年生駒山上から初日の出を拝みましたが,

僕にとっては,父と一緒に病室から見た,生駒山の初日の出を,一生
忘れることはないと思います.


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